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【邦画/アニメ】『さよならの朝に約束の花をかざろう』感想レビュー--2次元に恋をするってこういうことだからな

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監督&脚本:岡田麿里/アニメーション制作:P.A.WORKS
配給:ショウゲート/公開:2018年2月24日/上映時間:115分
出演:石見舞菜香、入野自由、茅野愛衣、梶裕貴、沢城みゆき、細谷佳正

 

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66点
年の取り方が異なるキャラクターを同じ世界に配置することで、関係性に新たな意味を持たせるという手段は、映画に限らずSFやファンタジーの物語ではよく目にする。中でも、不老不死(本作は寿命が異常に長いということだが、意味は同じ)の存在を混ぜると、なかなかの悲劇となってしまうことが多い。手塚治虫『火の鳥』とか、そうでしょう。

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本作『さよならの朝に約束の花をかざろう』は、アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』などの脚本でアニオタたちの涙腺を崩壊させた岡田麿里による映画初監督作品。10代半ばの見た目のまま数百年を生きるイオルフという民の集落に、イザーテという国の軍が襲い掛かる。集落は崩壊させられ、長寿の血が欲しいとの理由でイオルフの女性は連れ去られる中、マキアという少女は幸運も重なりひとり捕らわれずに済む。

マキアは、盗賊だかに殺された女性が抱いていた赤ちゃんの男の子を見つけ、育てると決心する。エリアルと名付けたその子を、母親の愛を知らないマキア(理由は不明だがマキアに両親はいない)がいかに母性を与えられるか、という話である。エリアルは人間なので成長して大人へとなっていくが、マキアは10代の少女の見た目のままで、「ずっと守る」などと言っていつまでも母性を与えようとしてくる。

よくある設定ではあるが、岡田麿里監督に加えて石井百合子による今風のアニメらしいキャラクターデザインによって、とある妄想をしてしまう。子供の時から大人になってもずっと同じ10代の少女の見た目ですぐそばで見守ってくれているって、それこそアニメのキャラクターのことではないか。たとえばセーラームーンのアニメは1992年放送開始だが、当時の小学生は今では30代である。子供の頃に夢中になったとしても、ほとんどの人はどこかの年齢で決別するわけだが、月野うさぎのほうは20年以上経った今でも同じ見た目で一切の変化はない。

このマキアって、月野うさぎ(例がこれでいいのかわからないが。セーラームーンよく知らないし)が意志を持つことで、いくらこちらが成長しようが、いつまでも付きまとって母性を与えてこようとしてくるようなものだろう。まあ、多くの人にはホラーである。これに耐えられるのは、いくら成長しようが子供気分のままでいられる人だけだ。

事実、劇中でのエリアルは、成長するに従い、育ての母親であるマキアへの対峙の仕方を変化させる。見た目が同年代になると周囲から恋人同士と思われて憤慨したり。その後は離れて暮らすと決意し、さらには新たに家庭を持つに至る。マキアのほうも、その時々でエリアルの気持ちを考えたうえで悩みつつも判断するから、まあいいのだが。

イオルフの民を無理やり連れ去って国家繁栄のために利用しようとするところとか、あまりよくわからずにクールジャパンとか掲げてアニメを利用しようとしているのと同じだよなあ、とか考えていた。長寿がどうこうとかの前に、母親と息子の話だから綺麗にまとまっているけど、あのラスト(死に際の彼の元に…)は客観的に見て、やっぱり怖いよ。

2次元に恋をするってこういうことだからな。「あずにゃんは俺の嫁」とかシャレで言っていても、相手はこれからも何百年も同じ姿で同じ性格のままずっと存在しているんだぞ。PCから出てこないかなあ、とか思わないほうがいいよ。もし本当に出てきたとき、それからの人生は間違いなくホラーになるから。


えっと、ちゃんと映画のストーリーを追いながら良かったところを誉める文章にするつもりで、こんな結論にする予定では無かったんだが。どうしてこうなった?

 

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え、『暗黒女子』の脚本って、岡田磨里なの?

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