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【邦画】『鋼の錬金術師』感想レビュー--「原作の要素を縮小する」という改変は、正しい方法論である

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監督:曽利文彦/脚本:曽利文彦、宮本武史/原作:荒川弘
配給:ワーナー/公開:2017年12月1日/上映時間:133分
出演:山田涼介、本田翼、ディーン・フジオカ、大泉洋、佐藤隆太、小日向文世

 

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56点
脚本というか、原作からのストーリーの改変の仕方は、巧くやっているほうではないか。今年の公開作で言うと、例えば『ジョジョの奇妙な冒険』のように回収する気のない伏線の乱発も無いし、『東京喰種 トーキョーグール』のように超駆け足の展開によってストーリーを時間内に無理やり詰め込んでいるようなこともしていない。

鋼の錬金術師 1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)

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原作漫画は、錬金術の存在する近世ドイツのような架空の国を舞台としたダーク・ファンタジー。ある事情で失った体の一部(と全部)を取り戻すべく旅に出ている兄弟の話と、極秘に行われている国家レベルの重大な陰謀の話の2つが次第に絡み合ってくるというのが、大まかな流れである。重苦しいストーリーの割にはギャグ多めで軽いタッチで描かれている絶妙なバランスが、人気の秘密と見ている。

えっと、ここからは誰もが原作を知っている前提で固有名詞をポンポン出していきます。まあ、カタカナ語の意味はわからなくても文章は理解できると思います。

映画は、もちろん尺の問題があるので、原作の最初のほうのみを扱っている。事件としてはショウ・タッカーの件と、マース・ヒューズの件があり、原作では別個の話なのだが、映画版ではラストでつなげて一つのオチとして解決させている。話を広げ過ぎないよう、原作では重要な要素も思い切りよくカットしている。スカーは出さず、ドクター・マルコーは早々と退場させ、マリア・ロスは話とほぼ無関係なただの脇役に成り下がっている。

続編のことを考えれば、これは結構な決断だ。スカーは後から出せばいいにしても、ドクター・マルコーとマリア・ロス絡みのエピソードは、もう使えなくなってしまうのだから。リザ・ホークアイがロイ・マスタングに銃口を向けるあの名シーンも、この話の続きで出すとおかしなことになる。原作の強固なファンからしたらはらわたが煮えくり返るような改変だろうが、映画の作り手は2時間の話として完結するほうを選んだわけだ。

さらには、原作における国家レベルの陰謀を、ひとりの人間による割とこじんまりとした件に縮小させて、上映時間内に収まるように注力している。そう、この映画版における改変は基本的に「原作の要素を縮小する」というやり方なのだ。原作ファンからしたら面白くないだろう。だが、長大な原作を映画化するにあたって、最も正しい方法論ではある。最も無難、とも言えるが。

さて、ここで例外的に原作から更なる肉付けをされ、縮小ではなく存在が拡大されているキャラクターがいる。もちろんショウ・タッカーである。大泉洋という「日本人全員が愛する小物」を配役し、原作と違ってしぶとく生き残らせ、長々とした演説により小物っぷりをアピールする場まで与えられている。

この映画を観たあとでは、頭の中は大泉洋で埋め尽くされる。改めて思い返すと、原作におけるショウ・タッカーは読者に与えた衝撃の割には登場が少なすぎるし、もっと掘り下げてほしいと願われる人物であろう。この映画において、ほぼ唯一原作から膨らませた要素がショウ・タッカーであるのは、原作を正しく理解した証左ともいえる。

で、こうして映画を振り返ってみると、主人公の兄弟の話がなぜか思い返されないのである。この映画版ってショウ・タッカーとマース・ヒューズの件が本筋になっちゃっていて、一番肝心な兄弟の体の件が脇に置かれているのだ。本筋には絡んでこないし、喧嘩に至るまでの伏線も急ごしらえだし。だからといってさすがに兄弟の件をバッサリ切るわけにもいかないからなあ。これが限界だったのかなあ。あと、ウィンリィが邪魔。

 

 

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