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【邦画】『南瓜とマヨネーズ』--オダギリジョーの、現実にもいそうな非現実性ってなんだろう

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監督&脚本:冨永昌敬/原作:魚喃キリコ
配給:S・D・P/公開:2017年11月11日/上映時間:93分
出演:臼田あさ美、太賀、浅香航大、清水くるみ、光石研、オダギリジョー

 

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62点
オダギリジョーの非現実性ってなんだろう。演技が浮いている、とかではない。現実にもいそうな非現実性、って書くとなんかパラドキシカルだが、まあそういう感じ。

売れないし最近は曲作りすらしていないミュージシャン・せいいち(太賀)と、小さいアパートで同棲しつつ夜の仕事をしながら金銭的に援助する女・ツチダ(臼田あさ美)の話である。まあ、よくある話だし、現実世界にも無数の似たような状況の男女がいるのだろう。なお人名のかな・カナ表記はエンドロールにあわせました。原作漫画がそうなのかな。

口ばっかり自信家で夢を大きく語る男だと、ヒモとして女に貢がれやすい、みたいなことを昔なにかで読んだ。本作のせいいちは、そんなに語る人ではない。ありがちな商業主義批判を口にするのは、ツチダではなく元バンドメンバーに対してだし。ツチダがどうしてせいいちに惹かれるのかは、最初はよくわからない。

ツチダは、夜の危ない仕事までして金を稼ぎ、せいいちに曲を作れ、歌えと願っている。実際に口に出すのは数回だが、常に思っていることが何となくわかってくる。共依存であはあるが、ツチダのほうが重傷で、せいいちを「自分にとって理想的なヒモ男」になってもらいたくてあれこれやってしまう、という感じか。

だからなのか、浮気するのはツチダのほうである。せいいちへの依存度が強く、ちょっとやそっとの過ちでは自分自身は揺るがないから。逆にせいいち側からすればツチダとの関係は脆く崩れそうなため、浮気の誘惑も自らの意思で押し留める。

しかしツチダの浮気相手がオダギリジョーという非現実の塊みたいなもののせいで、世界がおかしくなっていく。オダギリジョーは、自身は何も変化させず、ただ突っ立っているだけで周囲が勝手に引っ掻き回されてしまう不可思議で強力な存在だ。映画にとってある種の劇薬であり、迂闊に手を出すと収拾がつかなくなる。

今回は、ツチダとせいいちの関係性を破壊→再構築しただけで済んだが、ブッキングするときは取扱注意なのは、これからもずっとであろう。塩素系洗剤俳優、それがオダギリジョーである。

 

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原作漫画

南瓜とマヨネーズ (フィールコミックスGOLD)

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