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【洋画】『沈黙 -サイレンス-』感想レビュー--宗教との距離感なんて適当でいいと思う

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監督:マーティン・スコセッシ/脚本:ジェイ・コックス、マーティン・スコセッシ/原作:遠藤周作
配給:KADOKAWA/公開:2017年1月21日/上映時間:162分
出演:アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライヴァー、浅野忠信、窪塚洋介、イッセー尾形

 

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78点
日本における神の概念は、世界標準からしたら異質なのだと思う。キリスト教などでいうところの「GOD」を「神」と翻訳してしまったのが混乱の元のような気もする。「創造主」だったら、まだ良かったのに。多くの日本人は「あなたは神を信じますか」という言葉の意味を理解できない。信じるとかいうレベルじゃなくて、その辺にいるから、神。立川の安アパートで暮らしてたりするから。

日本人が「神」と聞いて思い浮かべるのは、大抵は神道における八百万の神のひとりであり、世界を創造した特定の誰かではない。仏教が日本に根付いたのも、神道に割と近いからなんだと思う。ていうか、もう大昔から神道と仏教はほどよく混ざってるわけだが。初詣に行くのに神社か寺のどちらにするか気にする日本人は極めて少数だ。

あんまり詳しくないのに適当に宗教の話をしてしまったのでなんか余計なところを刺激しやせんかとビクビクしているが(国家神道が明治にできたのくらいは知ってますよ)、さて本題の『沈黙 -サイレンス-』である。時は江戸時代の初め。キリスト教弾圧の激しい長崎の地に、ポルトガルの宣教師が訪れる。政府は隠れキリシタンを炙りだしては残酷な処刑を科しており、やがて捕らえられる主人公の宣教師に対してもあの手この手で棄教をさせようとしてくる。

特定の宗教を信じているだけで熱湯をかけたり死ぬまで荒波の海に磔にしたりする日本政府の差別的な残酷さを描いていると思いきや、ボクの率直な感想は「キリスト教って横暴だなあ」というものであった。石を投げれば「神」に当たるほど、「神」がうじゃうじゃいる日本に住んでいるからかもしれない。

作中では何度か、主人公の宣教師と日本人による宗教観を対立させた長い会話のシーンがある。これがどのシーンにおいても、非情な弾圧を行っている日本人のほうが真っ当なことを言っているように思えてしまう。というか、まず会話が成り立ってない。日本の特殊性やキリスト教の矛盾を論理的に説明する日本人に対し、ポルトガルの宣教師は「信じれば救われる」とか「これが真理だ」とか、ただただ強引に価値観を押し付けてくる。まあ、関わりたくないし怖いよね、こういう人。長崎奉行・井上筑後守(イッセー尾形がずっと半笑いで怪演している)は、その笑みの奥底でキリスト教に対する恐怖を感じているのは、よくわかる。

かといってキリスト教徒が実際に窮地に陥った時には、タイトル通り「神」は沈黙するだけで何も救っちゃくれない。ひどいもんである。キチジローという窪塚洋介演じる若者が、痛いのが嫌だからってすぐに踏み絵を踏んで棄教するくせに、またすぐキリスト教にすがるということを延々と繰り返す。そんな彼に宣教師は半ば呆れてるのだが、宗教との距離感なんてそんなんでいいと思う。ここは日本なんだから。

 

 

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原作

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

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