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【邦画】『ミュージアム』感想レビュー--「病気だから殺人鬼になる」っていう連想を悪意なくやっちゃうんだ

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監督:大友啓史/脚本:高橋泉、藤井清美、大友啓史/原作:巴亮介
配給:ワーナー/公開:2016年11月12日/上映時間:132分
出演:小栗旬、尾野真千子、野村周平、松重豊、妻夫木聡

 

 

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38点
まずは「体を拘束されて生きたまま犬に食い殺された女性の死体」というショッキングな描写をちゃんと見せることで掴みはOK。次が、その被害女性の彼氏のもとに小栗旬ら刑事が聞き込みを行うシーン。泣いて喚いて大騒ぎする彼氏の男。けっこうな大立ち回りをやりきったあと、小栗旬に「犬と聞いて思い当たることはありますか?」と聞かれる。そして場面転換。はい、これでこの彼氏の登場シーンは終わり。被害女性と犬の関係性を主人公に教えるためだけの存在だった。映画『ミュージアム』は、こんな調子で「不必要な描写」がものすごく多い。本筋とあまり関係ない部分が悪目立ちし過ぎなのだ。

この映画、誰も彼も、とにかく大声で喚く。物語を繋ぐ役目でしかない田畑智子も、急に大声で叫ぶし(あのシーン、呟くくらいにしとけば、ずっと自然なのに)。あと、小栗旬に「犯人のヒント」を気づかせるためだけに登場する中華料理屋の客も、無意味に大声で暴れる。原作は読んでいないのだが、脚本以上に演出が酷いので、実写化に伴う作業がうまくいっていないということなのだろう。

耳に良くない「不必要な描写」が連発される一方、「必要な描写」が無かったりする。小栗旬扮する刑事は、大失態したため謹慎を言い渡されるが、逃亡して他の刑事たちから行方をくらます。そして、小栗旬が「50万円で闇社会の人から拳銃を買う」という不必要に丁寧な描写はあるが、その前の「拳銃を取り上げられる」というシーンは無いから、一瞬「ん?」となる。そりゃまあ、状況的に拳銃は取り上げられているだろうと想像はつくけれど、そんなシーン、数秒で済むじゃん。あと、小栗旬がネットカフェで情報を集めるシーンはあるが、どうやって入会手続きしたかは謎だ。受付で偽の証明証を差し出すシーンとか入れればいいのに。「ちょっと考えたら納得できるだろう」ってことだろうけど、その「ちょっと」の思考の切り替えを強いられるせいで、どれだけ鑑賞に支障が出ているか解っているのだろうか。

(あと、小栗旬を追跡している上司の松重豊が、明らかに禁煙であろうネットカフェで堂々とタバコを吸っていたのは単純に酷かった。松重豊は一応「常識人」という立ち位置なのに)

他にも引っかかることは多い。他の作品にもよくあるヤツだが、「主人公のめちゃくちゃな行動は、妻と子供を犯人に拉致されてパニックになっているせい」という都合の良すぎる理屈は、単なる手抜きだし。あと、人の家に隠しカメラを簡単にセットできるほど万能すぎる猟奇殺人鬼ってのも、手垢がついているうえに現実味がない。「僕は表現者だ」とか自分で言っちゃうようなアーティスト気取りの犯人がやってることが、単純にダサいことばかりなのもなあ。「ずっと美しくの刑」ってなんだよ。アーティスト気取りだったら、せめて「永遠の美の刑」とかだろ。それでもダサいけど。

とまあ、グダグダ文句を並べてきたが(これでもだいぶ省略したのだけれど)、本当に酷いのはラストシーンである。別にネタバレでもないのだが、犯人はある病気を抱えている。それは別にいい。病気であることと殺人を重ねることに因果関係は特に示されていないから(ある人物のセリフがちょっと匂わせていたが)。小栗旬が犯人にたどり着くヒントとして病気が用いられているだけだ。左利きとか視力が良くないといった身体的特徴が、犯人を示すヒントになるというのはミステリでよくあることであり、今回の犯人が患っている病気もそういう使われ方をしているだけである。

だが、問題のラストシーンだ。「ある人物が、犯人と同じ病気であるような仕草を見せる」→「あ、この人も猟奇殺人鬼になっちゃうのかもと観客に思わせる」という狙いを持ったシーン。倫理的に問題がありすぎる。「病気→殺人鬼」って、そんな連想を当たり前のように促すって。悪意なくやっちゃうんだ、そういうことを。もしかして犯人の過去の描写とかが少なかったのも「病気なんだからアーティスト気取りの殺人鬼になっちゃうんだよ、ちょっと考えたら納得できるだろう」ってことなのか。まあ、色々と気をつけてくださいね。

 

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