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【邦画】『断食芸人』--「わからない」と「わけがわからない」は、別物なのだ

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監督:足立正生/脚本:足立正生,小野沢稔彦/原作:フランツ・カフカ
配給:太秦/公開:2016年2月27日/上映時間:104分
出演:山本浩司、桜井大造、流山児祥、伊藤弘子、井端珠里

 

48点
どうしよう。まったくわからない。いや、わけがわからない映画は、けっこう好きなんである。ただ、「わからない」と「わけがわからない」は、別物なのだ。

というのも、本作『断食芸人』は、寺山修司などかつてのアングラ演劇に倣ったような不条理モノなのだが、意外とわけはわかる。例えば、桜井大造が演じる興行師は、安倍政権を揶揄したもので間違いない。都合のいい憶測を断定口調で語り事実を報道している体で自分の主張を熱弁するTVリポーターなど、マスコミ批判も定形通りだ。何より、ただ商店街で座っているだけの断食芸人の周りに様々な思惑の人が集まり、次第にその場が不条理な空間へとなっていくという話の軸もわけがわかりやすく、その設定だけ聞くと面白そうである。

しかし、これだけわけがわかっても、映画自体は「わからない」のだ。監督はあの足立正生であるし、不条理という言葉を言い訳にして適当に変な人や現象を筋もへったくれもなく並べただけの人を馬鹿にしたような映画(昨年だと『乱死怒町より愛を吐いて』『春子超常現象研究所』『女の子よ死体と踊れ』etc)とは確実に違うはずなのに。『キネマ旬報』の監督インタビューや『映画芸術』の座談会にも目を通したが、やっぱり「わからない」。

本作は、冒頭でいきなり東日本大震災による津波の実際の映像が流れる。『ヒミズ』の時からそうなのだが、あの震災に関する映像は、劇映画に挿入した時点でほかのどのシーンよりも勝ってしまうのだから、やめたほうがいいのに。ただこれは監督本人が明言しているように「想定しているツッコミどころ」のひとつであり、ほかにも監督が想定済みのツッコミどころがたくさんある。そこで、ボクの「わからない」を少しでも解消するために、あえて本作のツッコミどころに真正面からツッコミを入れてみる。

さびれたシャッター商店街で座り込む男が注目され、断食芸人として周りが勝手に持て囃し始めるのだが、その過程が異常に早すぎるのだ。断食2日目に少年がネットに画像をアップしたところ、次の日には野次馬やマスコミが押し寄せる事態となる。現実問題として、それはないだろう。あの少年は有名ブロガーでもないだろうし、ただ路上で座っているおっさんの写真がネットで拡散されるなんてことは、まずない。足立正生監督がどれほどネットに精通しているかは知らないが、ネットの影響力を大幅に見誤っているのは確かだ。

(そもそも、なぜ一言も発しないあの男が「断食している」って、周りはわかったのだろうか。何日もずっと同じ場所にいるならともかく、2日目だよ)

また、4日目(5日目だったかもしれない)には女子高生(役の、セーラー服を着た中年の女性)が3人ほど断食芸人にキャーキャー言いながら群がり、そこに来たいかにもなオタクファッションの男にカメラを構えられると意気揚々と乳を放り出す。日中の商店街で。断食芸人という存在が、地場を狂わせて不条理な空間へと変貌させていると捉えるならば、こんな状況になるのも納得がいくのだが、やっぱり早すぎる。これは足立正生監督が、断食芸人の存在以前に、シャッター商店街そのものを不条理な空間と捉えているからなのだろうか。やはり寺山修司がそうであったように、ストリートに大きな意味を持たせているのかもしれないが、それを当たり前として享受できるほどコチラの精神はアングラっていない。

ともかく、断食芸人をこちらがきちんと認識する前に不条理な空間が成立してしまうので、そこから先にどんなことが起きても、置いてけぼりをくらうように思えてしまう。ネットとストリート、つまりバーチャルとリアル、そのどちらに対しても、監督とボクとでは捉えている距離感がまったく違う。そのあたりが、「わからない」の理由のような気がする。

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原作

変身・断食芸人 (岩波文庫)

変身・断食芸人 (岩波文庫)

 

 

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