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【邦画】『シェル・コレクター』--リリー・フランキーと寺島しのぶは、「貝殻」と「中身」という対比なのだろう

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監督:坪田義史/脚本:澤井香織,坪田義史/原作:アンソニー・ドーア
配給:ビターズ・エンド/公開:2016年2月27日/上映時間:89分
出演:リリー・フランキー、池松壮亮、寺島しのぶ、橋本愛、ジム・スターク

 

69点
千葉ロッテマリーンズの福浦和也選手は、かつて「選手名鑑」の趣味の欄に「貝殻集め」と書いていた。関係ないんだけど、ふと思い出したもんで。

さて、あらすじ。ほかに人の住んでいない小さな島で、孤独に貝を採集する盲目の貝類学者(リリー・フランキー)が主人公。貝殻に魅了されているが中身のほうは興味がなく、金属の道具で乱暴に抉り出す。ある日、砂浜にひとりの女(寺島しのぶ)が倒れているのを見つける。女は世界的に蔓延する奇病に侵されていたが、イモガイという本来は毒を持つ貝に刺されたことで病気が治ってしまう。さらに権力者みたいな人の娘(橋本愛)も直したことで噂が広がり、島に続々と患者が集まってくる。しかし貝類学者は住戸の扉を閉ざしてしまう。

これは寓話である。なので、リアリティにおけるおかしさをツッコんではいけない。人と会おうとしない貝類学者なんか無視して海岸でイモガイ探せよ、とかそういうことは言ってはいけないのだ。

寓意はいくつもあるが、まずは、病気が治ったあとの寺島しのぶの豹変ぶりと、それにたじろぐリリー・フランキーの対比が印象に残る。冒頭からしばらくは神ごとき存在のように描写されていたリリーが、再び生を獲得した寺島しのぶが体現する生身のエグさ(もちろん脱いでいる)にたじろぎ慌てふためく様子は、ある種の中学生っぽさを感じる。そこから頑なにイモガイによる治療を拒むあたり、生身の人間との対峙を常に避けてきた逃げの人生だったと露呈している。

リリー・フランキーと寺島しのぶは、「貝殻」と「中身」という対比なのだろう。自然の奇跡を体現したような美しい形態の「貝殻」と、普段は隠されているグロテスクな形態である「中身」は、様々なものに置き換えることのできる便利な寓意だ。

中盤で現れる息子(池松壮亮)の空虚なセリフの数々は、パッと見は綺麗で魅力的に輝いているが実はただの上っ面であるというところから、むしろ「貝殻」に近い。息子が「貝殻」として目の前に現れたため、父であるリリー・フランキーは、はじめて「中身」にならなくてはいけなくなった。それは息子の死と引き換えに獲得したようであるが。

と、ここまで考えていくと、橋本愛はどういう存在なのか気になる。世界が終わったかのような噴火のあと、ラストは真っ赤な服の橋本愛とリリー・フランキーが2人で島の奥のどこかへ歩いていくカットで終わる。橋本愛は「貝殻」と「中身」の両方を兼ね備えた「貝」そのものという印象を持ったのだが、どうだろうか。

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 原作小説

シェル・コレクター (新潮クレスト・ブックス)

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