今回の奈良旅行で実際に見て、一番良かった建物
遠藤秀平設計の中古車販売店
↓ 前編は、こちら
※ 注:今回、映画の話は一切でてきません
せっかくなので奈良をぶらぶらさまよった記録を載せます。と言っても奈良公園とその周辺の興福寺、東大寺、春日大社なんかは別に面白いことも何もなかったので省略。茶色い塊が見えたら鹿と思え、とだけ胸に刻みました。とりあえず電車に乗って法隆寺まで行ったところから。
奈良では車より鹿が優先される
JR奈良駅から約10分で法隆寺駅へ。この辺に住んでいる人たちは「最寄駅が法隆寺」なんだな。ちょっと面白いな。法隆寺駅から法隆寺までは歩いて20分。JR奈良駅から奈良公園まではそれなりに観光地の面目を保っているようだったが、こちらは何の変哲もない地方の生活圏といった感じ。さすがに境内に入ると食べ物屋や土産物屋が並んでいるが、中には開店しているのかも外からはわからないような店もあり、さびれた温泉街みたい。
法隆寺 南大門
そんな境内を歩いていくと前方に見えてくるのが巨大な南大門。おお、これが現存する世界で一番を古い木造建築かと思いがちだが、この門は室町時代に再建したもの。拝観料1500円(東大寺とかと桁が違う)を払って中に入ったところで、本当に世界一古い木造建築であるとされる五重塔と金堂を見ることができる。
金堂と五重塔
すげえ古い
とまあ、法隆寺をつらつら説明しても面白くないのでこの辺でやめるが、東大寺や春日大社なんかと比べて、法隆寺に感じる非実在感ってなんだろうな。目の前にして初めて「あ、本当にある建物なんだ」ってなぜか思ってしまったのだが。ボクだけか?
新国立競技場 A案のモチーフとなった庇
さて、奈良に来たついでのついでに、蘇我馬子の墓と言われている石舞台古墳も見てみようと、近鉄線の橿原神宮前という駅へ向かった。これが遠かった。JRから近鉄線に乗り換えるために途中で10分くらい歩いたのも込みで、1時間くらいかかった。法隆寺を建てた聖徳太子と蘇我馬子は一緒に政治やってたはずだ。なんでこんな離れてるんだ? 当時、歩きでしょ。蘇我馬子はこの近くに住んでいたらしいが、法隆寺まで行くのにけっこうかかるんじゃないか。と思ってGoogleで調べたら4時間22分だった(当時の道路じゃないけど)。そんなもんか。
橿原神宮前駅は構内が広々としていて、店も食堂や本屋やドトールなどたくさんある。3つの路線が乗り入れているので、一応ターミナルなのか。あとで村野藤吾の設計だと知って、もっと見ておけば良かったと悔やんでいる。
石舞台古墳までは観光用の周遊バスで向かう。これがまた本数が少ない。どうやら冬の期間は約半分に本数が減らされているっぽい。冬は人が少ないのか。石舞台古墳は観覧料が250円。安い。まあ、でかい石が積んであるだけだが。
でも、写真ではよく見るこのでかい石の下がどうなっているのか、意外と知らないのではないか。いや、知ってるか。だって古墳だもん。柩を収める空間があるんです。当たり前か。
ちなみに排水用の溝も当時のものだそう
本来は、このでかい石もすべて土に埋まっていたという。古墳の形状については諸説あり、とのこと。まあでも、再現して作られた石棺が脇にあったりするのだが、どんなに頑張っても15分くらいで全てを見ることができてしまう。250円が妥当な額か。
石舞台古墳と道路を挟んで向かいにある店
屋根にペンギンが乗っている
法隆寺も石舞台古墳もだが、どうも周囲が浮かれていない。上記写真の店は、浮かれているというより迷走しているって感じだし。そういえば、東大寺や春日大社を含む奈良公園一帯も、外国人も多く来る観光地なのでそれなりの施設は整っているのだが、それでも浮かれている感じがしない。「京都に比べて」という注釈がつくのだが。京都の有名どころ(銀閣寺とか)における自尊心たっぷりの観光アピールと対比効果により、奈良が妙に落ち着いて見えるのだ。ボクの勝手な気持ちだけど、この落ち着きを保つためにも、奈良にはリニアとか来ないほうがいいんじゃないかな。
鹿の下にカフェがあった。
設計したのは吉村順三
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