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【邦画】『愛を語れば変態ですか』--日本映画界は黒川芽以に何を求めているのだろう

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予備知識ゼロで観たのだが、上映開始してから数分で、たぶん元ネタは演劇だろうなと思った。あとで調べてみたら、やっぱりそうだった。ほとんど同じ場所で物語が進むからだけではない。登場キャラクターの造型や会話の仕方が、どうにもこうにも映画ではなく演劇なのだ。

映画と演劇、どっちが上でどっちが下というのは、もちろんない。表現方法が全く違う別のジャンルであるというだけだ。演劇出身の映画監督って、この差がなんであるか追究していることが多く、ときには過剰に映画的なことをしようとする(その最たる例が、三谷幸喜)。でも本作の場合は、あまり深く考えずに演劇を映画にしてみました、という感じ。いや、元ネタのほうは一切知らないから、ボクの印象がそうだってことなんだけど。

脱サラしてカレー屋を始める男(野間口徹)と、愛する妻(黒川芽以)。後輩(Wエンジン チャン・カワイ)にも手伝ってもらい、明日のオープンのための準備に忙しい。そこにバイトの面接でやってきた青年(キングオブコメディ 今野浩喜)。今野はすべてを自分の都合のいいように解釈して会話を成り立たせないサイコパスであり、当然のごとく野間口徹は採用を断ろうとするが黒川芽以はOKしてしまう。

ここから先、黒川芽以と過去に関係があり、そのせいで狂ってしまった男が2人ほど店にやってくる。が、この2人の男、今野浩喜ほど狂っているわけではないのだ。そして、黒川芽以が「本人は無自覚だが、出会う男を全て惑わす天然の悪女だった」みたいなことになってくるのだが、いやその場にいるもっとも狂った男は黒川芽以とは無関係だから。論点がブレるでしょう、それじゃ。

狂った男同士のチグハグな会話劇は面白いけれど、やっぱり演劇の面白さだ。そしてラスト、黒川芽以が店を飛び出し街中を走り出す。走るという行為は、非常に映画という表現方法にマッチしており、また固定された舞台から飛び出すのもこれが演劇ではなく映画であることを主張する。しかし、いかんせんそこに至るまでの話の造り方がおかしいため、なぜ走っているんだか、観ている側にはちっともわからない。いつの間にか今野浩喜が普通の人になっているし。

それにしても日本映画界は黒川芽以に何を求めているのだろう。「天然の悪女」役、これで何度目だ?

 

 

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