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【邦画】『ディアーディアー』--人には誰しも、ふるさとがあり、どこに行こうが一生逃れることはできない

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最近の邦画には、「ふるさと足枷」モノというジャンルがあると感じる。いわゆる「ご当地映画」という、地方自治体が主導となったのか誰かに騙されたのかわからないが、地元の名産品やら観光スポットをただ詰め込んだだけの映画が次から次へと公開される中、そんな流れとは逆に地元の閉塞的な空気に囚われもがく人たちを主人公にしたような作品のことである。本作『ディアーディアー』も、舞台が両毛地方(栃木、群馬にまたがる地域)だとはっきりと言っているが、地域活性化なんてお題目はハナから存在せず、逆に両毛地方のイメージを悪くすらしている。

主人公は、長男の冨士夫(桐生コウジ)、次男の義夫(斉藤陽一郎)、末娘の顕子(中村ゆり)の3人兄弟。両毛地方の山に囲まれた小さな町で子供時代を過ごした彼らは、あるとき山の中で、すでに当地域では絶滅したとされている鹿を見たことで街中から注目される。「リョウモウシカ」というその鹿を町おこしのネタにしようと大騒ぎしたものの結局、鹿はその後現れず、3人は嘘つき呼ばわりされて町中から白い目で見られる。その後、長男は借金に苦しみ、次男は精神病院暮らし、末娘は駆け落ちして東京へ逃げていたが、父親の危篤をきっかけに久しぶりに街に3人が揃った、というのがプロローグ。

人には誰しも、ふるさとがあり、どこに行こうが一生逃れることはできない。そんなふるさとから嫌われた場合、足枷のようにその後の人生に大きく邪魔をしてくる。3人兄弟は、鹿の一件でふるさとから嘘つき呼ばわりされて以来、人生がめちゃくちゃになっている。次男は「みんな鹿のせいだ」と喚き、旧友から「お前のせいだよ」と言い返される。旧友は本心でそう言ったのだろうし、なんでもかんでも鹿を言い訳にしている次男に問題がないわけではない。ただ、たかが小学生による一件の目撃情報で、リョウモウシカが生存していたと煽り、新聞記事にしたり看板を立てたりと観光の目玉にしようとする町もどうかと思う。それで鹿が見つからなかったら全て小学生のせいだよ。嫌だよねえそんなのが自分たちのふるさとだなんて。でもふるさとである以上、アイデンティティの一部であり、自分自身から切り離すことはできないわけだ。

この3人は、醜悪なふるさととどのように折り合いをつけたのか。3人それぞれが同時刻に別の場所で迎える激動のクライマックスは、それまでずっと街を覆っていた不穏な空気が一気に爆発したと同時に、3人が自分の中にあるふるさとと正面から向き合っているようにも思えた。ボク自身もふるさとから逃げ続けているから、そう思ったのかもしれない。

あと、柳憂怜の役者としての存在感は貴重。もっといろいろ出演してほしいんだけどな。