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【邦画】『水曜日が消えた』感想レビュー--SFの難題に果敢にも挑戦した意欲には敬意を払うが…

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監督&脚本:吉野耕平
配給:日活/上映時間:104分/公開:2020年6月19日
出演:中村倫也、石橋菜津美、中島歩。休日課長、深川麻衣、きたろう

 

注意:文中でラストの展開までがっつり触れています。未見の方は確実にネタバレしますので、ご注意ください。

 

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レビューを書くのに躊躇する作品である。いや、粗を探してひとつづつ文句をつけていけば、いくらでも筆が進むのだ。だが、「じゃあ、おまえが指摘した欠点を解決する脚本に書き直せ」と言い返されると、これが非常に難しい。意欲的なテーマに果敢にも挑戦し、妥協を何度もしたとはいえ最後まで完成させた作品、と捉えれば、なかなかに批判しづらい。

ひとりの人間に7つの人格が宿り、月曜日から金曜日まで1日ごとに別人格が入れ替わる。かなりシステマティックな多重人格の設定を考え出してきた。ここまで大胆にしながら、出オチになっていないだけでも昨今の邦画では好感触である。

この作品において想定される観客層は、主に2パターンが思い浮かぶ。ひとつはもちろん、中村倫也のファンである。それならば、7つの人格を均等に演じ分け、いろんな中村倫也を見せるのが最善だ。たしかに公開初日の映画館は中村倫也目当てと思われる女性客が多かった。だが、本作が狙いを定めたターゲット層は、そちらでは無かった。

この映画、がっつりSFをやろうとしているのである。それも虚構の設定を突き詰めたうえで浮かび上がる哲学的な問いにまで到達させようとしている、ガチのハードSF。想定している観客も、コアなSFファンだ。まずはその志の高さに敬服する。

主人公は火曜日の「僕」。7つの人格の中では一番まじめで気弱そうな性格だ。朝起きると月曜日が連れ込んだ女を追い出し、他の曜日が散らかした部屋を片付け、燃えるゴミを出しに行くも間に合わず、図書館は火曜日定休なので入ったことがない。別人格の時の記憶は引き継がれない(ここ重要)ので、付箋を貼って連絡網としている。家の中が付箋だらけなので機能していない気もするが。

歯ブラシが7種類なのはともかく、仕事部屋の机も7つ並び、クローゼットも7つ。冷蔵庫も業務用みたいな大きさで中が7つに区切られている。まず気になるのが、「僕」の収入源はどうなっているのか。かなり大きな一戸建てに、楽器セットやら何やら安くないものが大量に置いてあるのだが。終盤には車まで購入しているし。

主人公の火曜日は妄想旅行ブログを書いているだけで仕事をしている様子は無い。他の曜日はイラストレーターなどしているが、それぞれ週1日の稼働ではまともな収入は得られないはず。実はパンフレットには裏設定として「自宅は建築家の両親が残した」とか書いてある(でも収入源は謎)のだが、それは劇中で示さないと。SFは、そういう細部を詰めていくのが基本なんだから。

大胆についた「嘘」を現実の中に落とし込んだ時にどんな作用が起こるかの検証、というのがSFである。様々な現実(ゴミ出しとか火曜日定休の図書館とか)が「嘘」と交わり化学反応を起こすことで、違った世界が創造されるわけだ。たしかに本作はそこに意識的だが、追求され尽くしているとは言えない。いちいち挙げないが、心象風景っぽい映像でぼんやりとごまかしている点が多々ある。ただ、特に映像作品でSF的追求を完璧にできる人は滅多にいないので、挑戦しただけで良しとするべきか。

ある日、火曜日が目を覚ますと、いつもと様子が違う。翌日の水曜日に来ていたのだった。初めての水曜日に舞い上がり、図書館に行って司書に恋をしたりする。水曜日の日記を捏造して異常事態を隠すことにした火曜日(しかし水曜日の日記に「出勤 ジム」ってあるけど、実際に行ってないんだからバレるんでないの?)。しかし元の水曜日は、どこに消えてしまったのか。さあ、ここからSFミステリが始まる。いや、始めようとしている。しかし始まらない。それが惜しい。

多重人格だが劇中のほとんどは火曜日の視点のみである。つまり他の曜日の実際の行動はまったく解らない。この隠された部分の謎が徐々に明らかになっていけば面白くなりそうだが、アイデア段階で終わっている。一気に話を進めるが、実は月曜日のほうも他の曜日を侵食しており、最終的には月曜日と火曜日だけになる。もはや1日ではなく数分単位で人格が入れ替わり、スマホの録画機能を用いて会話をするようになる。

いろいろ端折って説明すると、小学生の時の交通事故で7つの人格に分かれたのだが、元の人格は火曜日だった。自分以外を消してひとつの人格になろうとする火曜日と、それを阻止してあわよくば乗っ取ろうとする月曜日の攻防になる。おお、オリジナルとコピーの対決なんていかにもSFっぽいと思うが、やっぱり引っかかる。

これ、主人公をオリジナルにしているのが一番問題なんだけど、火曜日が元人格である自分を残そうとするのは当然である。観客は視点である火曜日に感情移入しているわけだが、より葛藤を抱えているのは、ここまでほとんど出てきていない他の曜日でしょう。だって「本当なら存在してはいけない人格」なのだから。7つの人格同士が互いに大切に思っているとかの描写があれば、火曜日の選択に苦渋を感じることもできるが、それもたいして無いし。

で、最後は月曜日が残るのだけれど、彼は7つの人格を復活させるという決断をする。SFの定型であれば、コピーに決断させるのは「自分が消えるか、全員を残すか」である。本作の場合、どちらを選んでも自分(月曜日)が残るし、他を消したい欲求が強く示されているわけではないので、その選択は当然の帰結でしかない。コピーに「自分だけ残るか、全員を残すか」を決断させるのは、定型よりもテーマが弱くなってしまい、逃げの一手に感じる。

そもそも、この映画の根幹ともいうべき大切な選択を、主人公ではない月曜日にやらせているのはどうなんだろう。観客にとっては終盤でいきなり出てきた端役なんだし。これ、全体が月曜日の視点だったら、もっと面白い良質のSFになっていたかもしれない。こういう話の場合、主人公はコピーであるのが一般的だし。

まあでも、改めて強調しておくと、こんな難しいテーマに挑戦した意欲には敬意を払う。

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