ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画/アニメ】『劇場版 幼女戦記』感想レビュー--「どうして、こうなった?」の連鎖が世界を破滅に導く、現在の状況と似たリアリティ

f:id:yagan:20200412170107j:plain
監督:上村泰/脚本:猪原健太/原作:カルロ・ゼン/アニメーション制作:NUT
配給:角川ANIMATION/上映時間:分/公開:2019年2月8日
出演:悠木碧、戸松遥、早見沙織、大塚芳忠、三木眞一郎、玄田哲章

 

注意:文中では物語の終盤に触れていますので、未見の方はネタバレにご注意ください。

 

スポンサードリンク
 

 

自分のいる世界が非常時になったのに、なぜか上層の指導者たちが誰もが頓珍漢だと判別できる施策を次々と放ち、より状況は悪化していく。このような意味不明の状況になると、なんとか説明をつけたいがために、私欲のために圧倒的な力を使って全てをコントロールをしている何かしらの黒幕がいると思ってしまいがちだ。定番の陰謀論であるが、エンタメにおいてはありふれた設定なので、思い込む人が出てくるのも仕方ない側面はある。

『劇場版 幼女戦記』は、第一次世界大戦期の世界を模した魔術の存在する仮想世界を舞台として、帝国(モデルはドイツ)のターニャ・フォン・デグレチャフ少佐が指揮する203魔導大隊が、主にルーシー連邦(モデルはロシア)との戦火を繰り広げる。戦況が進むにつれて被害は拡大し世界は地獄のように変貌していくが、そこに黒幕の意図は介在していない。いわゆる陰謀論は否定されているわけだが、だからこそのリアルが垣間見える。

実は、この物語の主題がなんであるか、冒頭ではっきりと明示されている。帝国が敗戦して全てが終わったあと、科学者から神父となったシューゲルが、記者からの「どうして彼らは道を間違えたのか」という問いに「つまるところは、感情です」と答える。恐怖、憎しみ、信頼、執着といった感情の例を挙げた後、「誰もがその心を感情に支配され、破滅の道を進んでいった。剣を取るものは皆、剣で滅ぶように」とシューゲルは看過する。このセリフが、本作の物語そのものなのだ。

『幼女戦記』には、「どうして、こうなった?」という(劇場版に限らず)作品全体を象徴するセリフがある。戦争に関わる誰もが自らの感情に沿って行動するが、いずれも想定外の結果を産み、「どうして、こうなった?」と叫ぶのだ。この「どうして、こうなった?」の連鎖によって、戦争は勝手に肥大化していく。もはや個人の意思が介入することは不可能で、全員が呆然とするしかない。

劇場版では合計6回「どうして、こうなった?」(もしくは同じ意味の言葉)が発せられる。最初と最後の2か所、どちらもタイトルクレジットが出る直前のセリフは、ターニャによるものである。象徴的な同一のセリフによって始まりと終わりを繋げることで、この物語が円環上をぐるぐると回っている(まさに無間地獄)ような印象を与えてくる。残りの4つはそれぞれ別のキャラクターによる発言で、ターニャの所属する帝国軍から2人、敵対する側から2人と均等に分けられている。

繰り返すが、シューゲルの言葉通り、戦争の指揮官を含めて誰もが感情で動いている。ただ「これは理論的に考察を重ねたうえでの結論なのだ」と言い訳でカモフラージュして行動を正当化しているだけだ。解りやすいところでは、ルーシー連邦のロリヤ長官は自分の性的な欲望が本来の理由だが、いかにも戦局から理論的に立てた作戦だと主張して、大規模な軍隊を敵地に向かわせる。

冷徹で理知的とされているターニャにしても同様だ。彼女(あ、ターニャは幼女の姿です)の行動原理は常に「自分が安全な後方に配置されたいから」の一点であり、その目的のために理論をでっちあげて立ち回ろうとするのだが、結局は他者の感情と折り合いがつかず、思惑とは裏腹に何度も危険な前線へと送り込まれる。そういった様々な感情が戦地でこんがらがり、「どうして、こうなった?」が連鎖し、世界は破滅へと歩みを進めるわけだ。

そんな中で、合衆国の義勇兵であるメアリー・スーだけは別である。たしかに彼女もまた、父の仇であるターニャに対する復讐心という感情だけで動いているが、そこに何のカモフラージュをしていない。理論で誤魔化すことは一切せず、感情をむき出しにしてターニャを追い詰める。そのためメアリーには「どうして、こうなった?」のセリフは無い。復讐心だけで暴走するメアリーに、ターニャは追い詰められる。

「戦争に個人的な感情だと。馬鹿馬鹿しいにもほどがある」とターニャは呆れるが、水溜りに写った自分の顔を見て「私としたことも、これでは似たようなものか」と思い直す。自分が感情で動いていることに、初めて自覚するのだ。だがそこまでが限界であり「仕事だ。感情は抜きだ。理性に基づく自由意思において・・・殺そう」と、結局は今まで通り理論のカモフラージュによってメアリーと対峙する。ターニャには、それしかできない。

『劇場版 幼女戦記』は、世界が破滅に至る原因は教えてくれるものの、その解決策はどこにも見当たらない。むしろ、これが世の理なのだから諦めなさいと説得されているようでもある(現実の近代史をなぞっているのだから、尚更だ)。非常時に上層部が訳の分からない行動を繰り返してくるならば、それは「どうして、こうなった?」の連鎖ゆえなのだから仕方ないのだと、破滅を待つことしかできないのだろうか。

それでも解決へのヒントを劇中から探すとすれば、まずは上層部が謎の行動をしてきても、そこに誰かしらの思惑があると想像力を働かせるのは控えて、すでに上層部の機能が制御されていないのだと捉えるべきであろう。そのうえで、こちらからの上層部に対する抗議もまた、個人の感情によるものであると自覚するのが第一歩ではないだろうか。あの時のターニャと同じように。


※注記 実のところ劇中にて、この世界を掌の上で操る黒幕のような存在はいるにはいるが、やつはターニャに試練を与えるためだけに行動していて、世界がどうなろうと興味はない。そして、やつもまた感情を理論でカモフラージュしているに過ぎない。
-----

 

 

スポンサードリンク