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【邦画】『ヲタクに恋は難しい』感想レビュー--佐藤二朗は、世話になったからこそ福田雄一と袂を分かつべきではないか

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監督&脚本:福田雄一/原作:ふじた
配給:東宝/上映時間:114分/公開:2020年2月7日
出演:高畑充希、山崎賢人、菜々緒、賀来賢人、今田美桜、若月佑美、ムロツヨシ、佐藤二朗、斎藤工、内田真礼

 

注意:文中で直接的な結末には触れていませんが、ネタバレにご注意ください。

 

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43点
この映画は、誰に向けられて創られているのだろうか。主人公カップルのような「ヲタク」に向けられていないのは確かだ。原作の読者層もいまいち把握しきれていないのだが、おそらく「苦手な恋愛を頑張る若者」を見届けたい層が、若い女性を中心に一定数いるのだろう。つまりこれは一時期のブームであったキラキラ映画の亜種で、ここでのヲタク(抵抗あるけど、今回はこの単語で統一します)は「恋愛が苦手な人」の記号的な設定として用いられているに過ぎない。

ヲタクに恋は難しい: 1 (comic POOL)

ヲタクに恋は難しい: 1 (comic POOL)

  • 作者:ふじた
  • 出版社/メーカー: 一迅社
  • 発売日: 2015/04/30
  • メディア: Kindle版
 

 

そう考えると、劇中でのヲタクを表す要素は、そこまで変ではない。冒頭、ビッグサイト前で踊るコスプレは、ハルヒ、まどマギ、艦これ、初音ミク、リゼロ、ごちうさ、けもフレ、SAO、鬼灯などなど、ベタなものを揃えている。全体に渡って実在のアニメやゲームのキャラクターがそこかしこに映るのだが、その状況ならこの作品だというツボは押さえていて、『3D彼女』での統一感の無いフィギュアの並べ方とは全然違っていた。許諾を取るの本当に大変だっただろう。

コミケのシーンは準備会が全面協力しているため、知らない人に雰囲気を伝える程度であれば、そこまで間違っていない。声優イベントでは内田真礼という実際に人気のアイドル声優を出演させている。何よりミュージカル音楽を作曲しているのが鷺巣詩郎である。作詞は及川眠子に藤林聖子と、文句のつけようのない布陣だ。(特に作詞は)適当にやっつけた気がしないでもないが、それでも一定のクオリティは確保されている。

かようにヲタク要素に関しては、けっこうきちんとしたものを揃えているのである。誰だか解らないけれどアドバイザー的な人は完璧な仕事をしている。ここまで良質な素材を提供されていれば、出来上がりに間違いなど起こるはずは無いのに、それでも間違いを起こすのが監督&脚本・福田雄一の腕の見せ所だ。

福田雄一の繰り出すギャグがサムいのはいつものことだが、今回はそれ以前の問題が如実に表れた。福田雄一と言えば、とにかく『新世紀エヴァンゲリオン』のパロディが大好きである。今回も山崎賢人がしょっちゅう碇ゲンドウのポーズをしていたりと、隙あらばエヴァのやり尽くされたパロディを挟み込んでいる。さらには『ドラゴンクエスト』初期の文字が出る画面とか、「ニコニコ動画」風の文字が横に流れるやつとか、普通なら恥ずかしくて手を出さないようなパロディが頻出する。

今までは、福田雄一が観客のレベルを異常に低く見積もっていて、こういう手垢のついた解りやすいやつにしないと伝わらないと考えているのかと思っていた。でもさ、この文の冒頭でも触れたけど、本作のターゲット層ってキラキラ映画を純粋に楽しむ若い女性ではなかったか。山崎賢人のファンとも重なるような、そういう人たち。エヴァにドラクエって、彼女たちからしたら生まれる前の遺物だろう。けして解りやすいネタではない。

ニコ動だって、文化の主流にいたのは数年前で、若者からしたら子供時代の古いコンテンツかもしれない。というか、劇中では登場人物のセリフがそのままニコ動のように文字が流れるのだが、それニコ動のシステムから逸脱しているだろう。まさかだけど、ニコ動を見たことないんじゃないか。

福田雄一については、勘違いをしていたのかもしれない。エヴァもドラクエもニコ動も、解りやすさを狙ったつもりならば、明らかに需要と供給がマッチしていない。観客をバカにしているのではなく、手持ちの駒がそれしかないのだ。ここはエヴァ、ここはドラクエと、少ない駒を機械的に当てはめているだけ。それが面白いかどうかは考えることすらできない。ある意味、徹底した職人気質ではある。ただしセンスが一切更新されていないので、極端にズレた結果になってしまっている。非常に手数が少ないのに映画を完成してしまう技量だけはある、それが福田雄一最大の問題だ。

無自覚なヲタクへの偏見とか、物語と切り離されたミュージカルシーンの残念さとかは、ほうぼうで語られているのでここでは触れません。まあ、ゲームヲタクが梶裕貴を知らないってのも謎だけど。梶裕貴、ゲームの仕事もたくさんしているが。彼女のBL好きを理解するために自分も同じ趣味を持とうとして、ガルパングッズを部屋に飾るとか、こういうヲタク趣味を雑に一緒くたにしている感じがなあ。「同じ趣味」じゃないじゃん。まず文ストを読めよ。

最後に、一度は触れておかなくてはいけない佐藤二朗問題について。今回もまったく制御されておらず演技が暴走しており、福田雄一作品の象徴のように非難されている。でも本作の場合は冒頭で登場しているため、観客は映画自体の悲惨さを知る前に佐藤二朗に触れてしまったわけである。これが後半の登場ならば、むしろ映画にとどめを刺してくれてありがとうと感謝していたかもしれない。

よく竹中直人や柄本明が、自分勝手に暴走することで失敗作品に対するせめてもの救済としているが、佐藤二朗も同じだと思うのだ。佐藤二朗の暴走によって福田雄一へ向けられた矛先の一部を自分に引き寄せている。むしろ自分を犠牲にして福田雄一作品をギリギリ成り立たせていると捉えるべきではないか。まあでも佐藤二朗は『宮本から君へ』で証明されたように、きちんと制御された演出の元ではただならない存在感を発揮するので、もっと作家性の強い監督と仕事をしてほしいのだけれど。世話になったからこそ、一度は福田雄一と袂を分かつことを考えてもいいのでは。ムロツヨシはどうでもいい。

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