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【邦画】『シライサン』(イヤホン360リアルサウンド)感想レビュー--映画館で周りの人には聞こえない音が自分にだけ聞こえる居心地の悪さ

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監督&脚本:安達寛高
配給:松竹メディア事業部/上映時間:98分/公開:2020年1月11日
出演:飯豊まりえ、稲葉友、忍成修吾、谷村美月、江野沢愛美、染谷将太、渡辺佑太朗、仁村紗和、大江晋平、諏訪太朗

 

注意:文中で直接的にオチには触れていませんが、念のためネタバレにご注意ください。

 

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58点
本題の前に、「イヤホン360リアルサウンド」について。事前にスマホにアプリをダウンロードして待機状態にしておき、上映中にイヤホンをつけていると、本編にはない特別な音が聞こえてくるという企画である。上映が始まる直前にスクリーンで企画が説明されるので、その場で知った人は、まず間に合わないのだが。その前に「スマホの電源をお切りください」って言われているわけだし。せめて映画泥棒の前に教えてくれればねえ。それでも無理か。

小説 シライサン (角川文庫)

小説 シライサン (角川文庫)

  • 作者:乙 一
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: 文庫
 

 

そんなわけで、満席に近い新宿ピカデリーのシアター7だったが、目に見える範囲ではイヤホンを付けている人は自分以外に確認できなかった。公式サイトの注意に沿って機内モードにしていた(アプリ内でも注意を促したほうがいいと思う)のだが、それでも上映中の映画館でスマホの電源を入れたままだとマナー違反をしているみたいで、いい気分ではない。イヤホンを差しているので音は出ないにしても、アプリ起動中のスマホの画面は光ったままで目立つので、脱いだコートにくるむことにした。

さて、「イヤホン360リアルサウンド」は、どんな感じだったか。劇中で幽霊が出てきそうになると、ザッザッという足音(?)や鈴の音なんかがイヤホンから流れてくる。流れる音が幽霊絡みに限定しているのは、一応はフェアであろう(一回だけ、劇中でのスマホのバイブ音が流れた気もしたが)。たしかに耳元で鈴の音が聞こえてきたら、劇中の人物が抱く恐怖を追体験できるような臨場感はある。ただこれ、音の追加によって何かしら構造的な仕掛けがなされているわけではなく、あくまで恐怖を補完するトッピングに過ぎない。

それはいいのだが、少なくとも目視できる範囲の観客はイヤホンを付けていないので、自分だけが周囲とは別のものを提供されているわけである。この状況が、どうにも落ち着かない。シネコンの至上命題である「作品の均質性」(同じ作品であれば、いつどこで観ようとも同じ状態で観客に届けなくてはならない)とは真逆の状況である。映画館で隣の人とは別の作品を鑑賞している居心地の悪さ、解ってもらえるだろうか。まあ、ある意味で貴重な体験とも言えるが。

長くなってしまったが、本題である『シライサン』について。監督&脚本の安達寛高とは、小説家・乙一の本名。近年の活動は追えてなくて申し訳ないのだが、ミステリ界隈を話題沸騰にした『GOTH リストカット事件』や、その前後の作品は刊行時に読んでいる。ホラーやミステリ、あるいは寓意の強いファンタジーなどジャンルは多岐にわたるが、いずれにしても奇抜な仕掛けで読者を驚かせ惑わせる作風である。

乙一に対しては、そんな印象を持っていたので、『シライサン』が古典的な形式のジャパニーズ・ホラーだったのが意外であった。演出に関しては、映像表現に慣れていない自分の力量でできる程度に抑えていたのかもしれない。怖がらせるためには、下手に変化球を投げるよりも定石通りにしたほうが、ずっと確実である。観客が先に「こうなったら嫌だなあ」と思ったところで、その通りの事態が起こるのが、最も効率の良い恐怖の演出だ。

演出は安全策を取ったにしても、物語自体も割と定石通りだったのは、乙一作品として捉えれば物足りなさを感じたのも事実である。だが改めて物語を思い返してみると、そんなに悪くなかったと考えが変わってくる。やはり構成を丹念に詰めるタイプの小説家なので、この手のホラーには珍しく、物語に決定的な破綻が無い。

ボクがホラーを苦手な理由として、「辻褄の合わないことを霊のせいにして誤魔化す」ってのがある。霊だからってのを言い訳にして何でもアリにしちゃうホラー、よくあるでしょ。去年の『貞子』とかさ。はなっから不条理ならいいんだけど、途中までは論理的な構築というか劇中でのルールがあったはずなのに、後半でほっぽり出すやつ、どうにもついていけないのだ。

『シライサン』も、その系統だと観ている間は思っていた。でも、改めて辻褄の合わない点を指摘しようとしたところ、なかなか難しいと気づく。実は意外にも、劇中で示されていたルールは守られている。意図的に物語のオチがつけられていないラストを瑕疵だと判断してしまったことで、勝手に破綻していると思い込んでいただけだ。シライサンがルールの枠内で最善の策を取っていたと考えると、いろいろと腑に落ちるし。死者の声を流すタイミングとか、シライサンって幽霊らしからぬ策士だからなあ。3日に1度の件も、本当はそんな法則は無いのに相手を騙すためにわざとやっていた可能性もある。

まあ、この作品で一番印象に残ったのは、主人公男女の向かい合っての食事シーンなのだが。会話のキャッチボールに合わせて、真正面のショットが交互に切り替わる。よくある切り返しの映画的手法のはずなのに、どんなホラー演出よりも、なぜかここが最も不気味だった。あまりに形式ばっているために日常から乖離した異質な空間になっていからかもしれないが、結局あれは何だったんだろう。

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