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【邦画】『屍人荘の殺人』感想レビュー---人の死によって遊ぶ不謹慎な娯楽「本格ミステリ」を映像化する唯一の手段

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監督:木村ひさし/脚本:蒔田光治/原作:今村昌弘
配給:東宝/上映時間:120分/公開:2019年12月13日
出演:神木隆之介、浜辺美波、中村倫也、葉山奨之、矢本悠馬、佐久間由衣、山田杏奈、大関れいか、福本莉子、塚地武雅、ふせえり、池田鉄洋、古川雄輝、柄本時生

 

注意:文中で映画『屍人荘の殺人』及び原作小説のストーリーに触れていますので、ネタバレにご注意ください。

 

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66点
鮎川哲也賞を受賞した今村昌弘のデビュー作である原作小説は、なるべく読者を驚かせようとした、インパクトに主眼を置いた本格ミステリである。大量の応募作の中から選者に選んでもらうべく印象付けるには、有効な手段なのだろう。続編となる『魔眼の匣の殺人』のほうは落ち着いているので、新人賞選考に照準を合わせた作戦だったのかもしれない。

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

  • 作者:今村 昌弘
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: 文庫
 

 

原作におけるインパクトはいくつかある。まずは、大枠に非現実な設定をぶっこんで、世界の常識に新たな「定義」を設ける手法。新たな「定義」の下で、ミステリの可能性を広げられるか論理的思考をフル回転させている。これ自体は珍しいものではない(むしろSFの手法そのものである)のだが、インパクトとしては充分だ。

もうひとつは、いかにも探偵役というか、少なくとも今後シリーズ化した時にレギュラーキャラクターとなりそうな思える人物が、序盤であっさりと死んでしまう展開。ミステリ慣れしていると、こちらのほうがインパクトは大きいかもしれない。探偵役っぽい人が死ぬことは過去のミステリでもままあるが、本筋とは無関係に、半ば事故のように死ぬのは、確かに珍しい。

そんな原作小説を映画化した『屍人荘の殺人』は、上記2つのインパクトについては、観客へ与える効果を含めて忠実に受け継いでいる。原作について何も知らずに、あるいは予告編を何度も凝視していない観客であれば、それなりにこの展開に驚くであろう。

さて、本格ミステリ小説を映像にしたときに、どうしても避けられない問題がある。本格ミステリとは、そもそもが人の死によって遊ぶ、不謹慎な娯楽である点だ。誕生から100年以上経っている本格ミステリは、それを当然としているが、そんな「ジャンルの常識」は特定のファンにしか通用しない。映画化によって一般大衆の目に触れた時、非常に不愉快に映る可能性がある。特に(本格ミステリと縁遠い)日本人の多くは、コナン・ドイルよりも江戸川乱歩のほうが馴染み深く、ミステリとはああいう怪奇的なものだと思われがちであるし。

この解決法は、ひとつしかない。とにかく軽薄なコメディ調にすることで、舞台を極めてフィクショナルな空間にしてしまうのである。一見すると逆効果のようでもあるが、世界の全てが虚構であれば、人の死も単なる作り物として片づけられる。木村ひさし監督はテレビ朝日のドラマ『TRICK』の助監督経験もあり、その時の方法論をそのまま持ち込んでいる。何かに目線を向けた時に1音で「ティン」って鳴るやつとか。もうすぐ犯人が露わになる謎解きでも、探偵役の浜辺美波が手にしているものを「はいっ」と隣の人に渡す所作を繰り返すなど、緊張感を削ぐことに全力を注ぎ、シリアスになるのを防いでいる。

おかげで真犯人の動機や回想シーンにおける重さが、作品全体のトーンとは浮いてしまっているが、それは本格ミステリそのものの課題とも繋がっている件であるし、本作においては小さな瑕疵でしかない。本格ミステリのテイストを損なわず一般向けの作品に仕上げた力量は、過去のミステリ小説を原作とした邦画作品と比べても、相当なものであろう。

そう、この映画、原作小説からの変更は多いのだが、ミステリとしての骨格の部分は損なわれていない。原作では映画研究会の夏合宿が舞台で、フェスの観客であった"彼ら"と遭遇するのは肝試しの途中である。そこを映画ではフェス研に変更し、フェス参加中への遭遇とすることで、物語の枝葉の部分を大胆かつ効果的に削ぎ落として、話を整理している。さらには、原作では館に閉じ込められるのは大学生&OBと管理人だけだが、映画では登場する部員の数を減らして、代わりに無関係のようなフェスの観客を混ぜることで、登場人物に画的な彩りを加えている。

肝心のトリックの部分は大きく変更せず、冒頭に述べた新たな「定義」を用いた論理ゲームの部分を残している。エレベーターを用いた面倒くさい殺人方法も、犯人のちょっと異常な思考による理由付けがなされている。実質のところ先に「面白いトリックを思いついた」というのがあり、そこに後付けで犯人の思考が決められているわけだが、本格ミステリとは、論理ゲームを優先するがゆえ人間が機械的に動かされるのを是とするジャンルなのだ。

あと、小さいところでは、最初に「今年の生贄は誰だ?」と書かれた紙が部室に置かれていた件。本筋と関係ないので削除してもいいと思いがちだが、あれが無ければ浜辺美波らは合宿には参加できなかったので、必要なのである。こういう、論理ゲームが先走るために、手段と目的が逆転している本末転倒な部分を楽しめるかが、本格ミステリの愛好家となれるかの分かれ目かもしれない。

最後に。実は原作小説には、もうひとつ大きなインパクトが用意されている。物語の視点を担い、本来は事件を解決してはいけないワトソン役(探偵の助手)は、偶然ではあるにせよ、実は探偵よりも先に犯人に気づいているのだ。しかし犯人を庇うために、探偵(と読者)に嘘をついている。これも過去に例のあるパターンだが、インパクトは絶大であろう。

これに関しては、映画では、ほぼオミットされている(浜辺美波のセリフ「君はやさしいね」を代替としている)。確かに、この部分を映画で取り上げるとなると、神木隆之介の額に傷があったり、腕時計を大切にしているなど、要素が多くなり過ぎて収拾がつかなくなるので、当然の選択ではあるが(でも、探偵が嘘に気づくところは映像のほうが映えるので、少しもったいない気も)。

だが、この「犯人を庇って探偵に嘘をつく助手」という設定は、映画だととってつけたように感じてしまう例のラストシーンに、まったく別の意味を与えたかもしれないし、続編での関係性も新たな深いものになったかもしれない。無いものねだりなのは重々承知だが、わがままな原作ファンとしては、どうにかならなかったかなあと思ってしまうのだ。

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