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【邦画】『午前0時、キスしに来てよ』感想レビュー--橋本環奈の「声」について、そろそろきちんと向き合うべきではないか

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監督:新城毅彦/脚本:大北はるか/原作:みきもと凜
配給:松竹/上映時間:115分/公開:2019年12月6日
出演:片寄涼太、橋本環奈、眞栄田郷敦、八木アリサ、岡崎紗絵、鈴木勝大、酒井若菜、遠藤憲一

 

注意:文中で直接的には物語の結末には触れていませんが、念のためネタバレにご注意ください。

 

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57点
みんな、本当は気になっているはずなのだ。だが、それを指摘した途端、これまで積み上げてきたものがガラガラと音を立てて崩れてしまうこともまた、解っているのだ。だから、誰もが気づかないふりをして、そこに触れないようにしているのだ。だが、このままズルズルと先送りにしていると、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。だから、そろそろきちんとこの件について向き合うべきではないのか。

 

橋本環奈、声どうした?

 

橋本環奈といえば、福岡でのアイドル時代に撮られた写真が「奇跡の一枚」として拡散されて、世間に認知された。そして「千年に一度の逸材」というキャッチコピー(言い出したのは外野かもしれないが、強く否定したわけではない)と共に人気が爆発し、いまだに「美少女」枠のトップランナーでいる。

「千年に一度の逸材」という、途方もない数字を含んだコピーは、そのバカバカしさにより興味ない人から相手にされない点を含めて、非常に巧かった。これが「十年に一度」だったら、マジな感じがしてバッシングされていたかもしれない。「明日、地球を爆破します」とネットに書き込んでも警察が動かないのと同じだ。

こういった経緯から、橋本環奈は当初から「美少女」として認知された。実際に美少女であるかとは別に、記号としての「美少女」性を獲得したのだ。現状、「美少女」と橋本環奈は、ほぼイコールで結ばれている。そして、この橋本環奈の記号的「美少女」性は、邦画界にとっても非常に有用で、使い勝手の良い存在となっている。

※ なお、これはちゃんと断りを入れておかなくてはいけないが、実際に橋本環奈は美少女である。似顔絵を描いていると解るが、若い女性の場合は、顔の個々のパーツよりも全体の配置のバランスによって美人度が決まることが多い。橋本環奈の顔で言えば、目の下のクマは大きな特徴であるが、全てのパーツが絶妙に配置されているために、その程度では気にもならない。

そんな橋本環奈だが、ここ最近、声がおかしい。本人も何かのインタビューで触れていたが、元々少し低い声ではあった。もっとも、その程度では強固な「美少女」性に取り込まれるだけだ。ところが最近は、低さに加えて、変に掠れているのだ。ハスキーボイスともちょっと違い、もっとも近いところだと伊藤沙莉みたいな感じ。ちょうど二十歳頃から掠れが目立ってきたので、酒ヤケを疑ってしまいそうでもある。

この声が、橋本環奈の記号的「美少女」性を大きく揺るがしそうなのである。だが、後進のいない現状、邦画界から「美少女」を失うのは非常に困る。橋本環奈自身は、今の声を利用して茨城のスナックのチーママ(by『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の伊藤沙莉)の役とかすればいいかもしれないが、周囲は誰も望んでいないのが問題だ。広瀬すずは、いずれベッドシーンにも挑戦するだろうが、「美少女」の看板を背負う橋本環奈については、そういうことを想像するだけですら背徳感が発生してしまう。それはつまり、まだまだ橋本環奈は「美少女」をやってもらわないと困ることの証左でもある。

映画『午前0時、キスしに来てよ』は、少女漫画の定型パターンを忠実になぞった、いつもの話である。勉強ばかりでクラスでも目立たないヒロインがいて、急に王子様のような存在が現れて恋が始まり、周りにはひそかに思いを寄せる幼馴染とか、明るく見守る親友とか、恋のライバルとか、おなじみのキャラクターが勢揃いしている。

他の似た話との差異は王子様が国民的アイドルであることくらいか。誰もが思う「成年のアイドルが女子高生に手を出すとか、ヤバくね」という点が、後半できちんと総括されていて、そこは悪くない。前半は漫画原作にありがちな、いろんな要素を詰め込み過ぎな感じがしたが、サイドの話はどれもあっさりと済ませていて、ひとつの主要な軸をメインにした構成は、まあまあ良い。

※ あと、映画館の空間が象徴的に使われていて、ロケ地に宇都宮ヒカリ座を選んだ点を含めて、個人的にはそれだけで満足。まあ、名画座の通常上映で、日時の指定されたあんな前売り券は無いと思うけど。

公開初日金曜日の夕方に観に行ったのだが、客席は学校帰りの女子中高生で埋め尽くされていた。橋本環奈ファンらしき人は見当たらなかったので、片寄涼太を鑑賞するための作品なのだろう。この場合、観客が自分と橋本環奈演じるヒロインを重ね合わせて、片寄涼太との疑似恋愛を楽しむことになる。記号的「美少女」性は、女性からのやっかみを発生しにくいため、こういうポジションもすんなり受け入れられる。

だが、橋本環奈の声である。少女漫画原作なので、やたらと心情を口に出して言うのがお約束なのだが、内容よりも声が気になって仕方がない。落ち込んでいるときはまだしも、嬉しかったときにあの掠れ声ではしゃいでいると、なんだかふざけているみたいである。片寄涼太目当てのファンは、本当に掠れ声のヒロインと自分を重ね合わせることができるのか。何かと現実に戻されそうで、難しいんじゃないだろうか。

とにかく、記号的「美少女」性と、あの掠れ声は、非常に相性が悪い。橋本環奈は、「美少女」の看板を下ろすほうにシフトするのか。だとしたら、そこから先は、どのような道を行くのか。そして、記号的「美少女」のポジションを受け継ぐのは誰なのか。いつまでも気づかないふりをしたまま先延ばしにするのではなく、そろそろきちんと向き合わなければいけない問題である。

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