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【邦画】『MANRIKI』感想レビュー--すべてを説明しようとする時点で、それは芸術ではない

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監督:清水康彦/脚本&原作:永野
配給:HIGH BROW CINEMA、東映ビデオ/上映時間:88分/公開:2019年11月29日
出演:斎藤工、永野、金子ノブアキ、SWAY、小池樹里杏、神野三鈴

 

注意:文中で結末に触れていますのでネタバレにご注意ください。

 

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47点
なんだか、危険な香りがする。作品そのものは、ありがちな凡作の一言で片づけてもいい。だが、公式サイトやパンフレットなどから漂う「俺たち、マジなんだぜ」みたいな心持ちが、どうにも良くない方向にハンドルを切りそうで不安なのだ。映画会社に企画を断られたことを武勇伝のように語るあたり、変な勘違いをしていないだろうか。

ピン芸人・永野のコントを見た斎藤工が、これは芸術だと衝撃を受け、金子ノブアキらを加えて映像クリエイティブ集団「チーム万力」を設立。短編をいくつか制作したのち、永野が原作・脚本、斎藤工がプロデューサーとなって創られた長編映画が本作『MANRIKI』である。斎藤工も永野も、取材などでは意図的に芸術家気取りを装っている可能性はあるが、だとしても作品にプラスの効果を与えているわけではない。

永野のコントを芸術だと感じるのは、よく解る。ほんの一部しか知らないが、永野のコントは設定からして既成概念を逸脱しているものが多いから。そのぶっ飛び具合を保ったままの映画であれば、たしかに既存の価値観が通用しない芸術作品になったかもしれない。しかし本作における「女の顔を万力で潰す医者」という基本要素は、過去のスプラッタ映画による既成概念の範疇に収まり、目新しさは無い。それより何より、やたらと観客に向けた説明が多いのだ。万力で女の顔を潰す理由を、とにかく説明してくる。その時点で、少なくともこれは芸術ではない。

さて、あらすじ。オーディションに落ちてばっかりの売れない女モデル(小池樹里杏、役名は小顔願望女)は、自分ではでかいと思い込んでいる顔がコンプレックスで、ついにはストリートミュージシャンや彼氏からも「顔デカ」と嘲笑われていると妄想するに至る。もう、こういう幻聴の描写からして、手垢のついたイメージによる状況説明でしかないのである。珍しくもなんともない、よくある被害妄想の場面だ。

その後、合コンに参加したら隣の女性の鼻が落ちていたり、タクシードライバーに毒づいたら泣き出したりと、状況は多少シュールだが前後の流れと無関係なシーンが挟まる。といってもこれらは、女モデルの性格の悪さを説明しているためだけのものだ。この後に女モデルは万力で顔を挟まれるため、前もって性格が悪いやつなんだと説明することで、観客が彼女を可哀想だと感じないように保険をかけている。やり方が安直だし、何よりセコい。

怪しげな美容クリニックに入る女モデル。医者(斎藤工)から説明を受けている最中に気を失い(詳細不明)、気が付くとベッドに拘束され、顔には万力が挟まれている。恍惚の表情で医者が万力で顔を潰しにかかり、大量の血が流れ落ちる。隙を見てスマホを取り出した女モデルは彼氏に電話を掛けるが、彼女の悲鳴を聞いた彼氏は勃起をする。なお、その傍らでは永野と金子ノブアキが謎の行動をしている。

場面は数日後に移行。顔が潰れた女モデルだが、本人は美人になったと思い込み、自撮りをばんばんSNSに上げている。顔が潰れたと言っても、セロテープで目尻や頬を中央に寄せているような感じで、周囲の余白が多くなったぶん余計に顔が大きく見えるのだが。で、経緯は謎なものの女モデルと医者は付き合っているのだが、蕎麦屋で痴話喧嘩をした直後に医者に逮捕状が出たと示され、行方をくらます。ここで女モデルの話は終わり。放ったらかしのまま、今後いっさい出てこない。

場面は変わって、とある地方。斎藤工(この時点では医者でもないので、ここから役者名で)に美人局を仕掛けようとした女(神野三鈴)が、やっぱり万力で顔を潰されそうになる。その場に乗り込んだ恐喝役の男(SWAY)とのドタバタの末、女の首が引きちぎれる。一応ここは、斎藤工ファンの女性客で埋まった館内でも笑いが起こっていた。斎藤工の「自然にしようと意識するために不自然に見える自然体」の演技が、オフビートなギャグには合っていたようだ。本作で初めて気づいたけど、斎藤工の演技って、木村拓哉とほぼ同じなんだよね。

ここからトランクに死体を入れての逃亡劇という、これまたどこかで見たことのある話になった後、斎藤工は捕まり、死刑囚となる。死刑執行の前に書く手紙の中で、見た目に執着する女は醜いんじゃないか的な陳腐なことを主張してくる。斎藤工の行動の理由を延々と説明しているわけで、最後までそうなのかと。意味がきちんと伝わらないことに対して、なんでそんなに不安なのか。

それでも、これまで書いてきたあらすじの中でも、ちょいちょい意味不明な部分がある。なぜか永野がスカートを履いているとか、こういう意図の読めないところだらけであれば、怪作になった可能性もある。何よりマズいのが、本作は永野が脚本を書いている点だ。こんな、きちんと話の意味を噛み砕いて説明しようとする永野なんて、本来のコント内容や芸人としてのイメージとは真逆だ。この映画によって、本業にまで影響でないかと心配である。

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