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【邦画】『初恋ロスタイム』感想レビュー--SF設定がちょっとした小道具としてしか用いられないのは、ジャンルとしては良いことだろう

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監督:河合勇人/脚本:桑村さや香/原作:仁科裕貴
配給:KADOKAWA/上映時間:104分/公開:2019年9月20日
出演:板垣瑞生、吉柳咲良、石橋杏奈、甲本雅裕、竹内涼真

 

注意:文中で中盤の仕掛けと結末に触れています。未見の方はネタバレにご注意ください。

 

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57点
2019年9月20日は、邦画の話題作が一挙に公開された日であった。その中で、ベタなSF設定を安易に用いたんじゃないかという嫌な予感と、失礼ながら世間的な知名度が高くない若い役者が主演であることで、わざわざこれを観る必要は無いんじゃないかと憶測で敬遠されているのが本作『初恋ロスタイム』ではないか。公開初日の金曜日夕方、割引料金のバルト9はいつもなら観客で埋まるものだが、この日の客席は単身のおじさん(自分を含めて)がぽつぽつと座っているだけであった。この映画のメイン客層って、こういう人たちなのだろうか。

簡単に概要を説明すると、浪人生の相葉孝司(板垣瑞生)は、予備校で授業(予備校の場合は授業だっけ講義だっけ)を受けていたのだが、12時15分になったところで全ての時間が止まってしまう。パニックになって「動いている人はいませんかー!」と叫び続けながら公園へ行き、噴水を触ると水だけが動き出してずぶ濡れになり、その光景を笑って見ている女子高生の姿を確認した瞬間に元の予備校の教室に戻る。服は濡れていないし時間停止中に壊した電子辞書も元通り。時間停止中に起こったことは何も引き継がれず、1時間ほど経つと直前の12時15分に戻ってくるわけだ。(噴水の水が動き出した理由は謎)

※ ちなみに、公園のシーンで時間停止しているエキストラの一人が一瞬バランスを崩してぐらついているのが残念だった。ただし序盤でこれを目撃したため、時間停止した空間の絵的な面白さに比重を置いた作品ではないと判断できたのだが。

この設定なら時間停止中に何をしたって良いわけで、主人公が多感な10代男子なのだから色々と妄想は膨らむが、先に言っておくと客席のおじさんが期待しているであろうことは何もしてくれない。翌日、同じく12時15分に時間が止まると、昨日見かけた少女を探すべく、着ていた制服から判断して女子高に向かう。学校に忍び込み、授業を受ける女子高生の一群を見てテンションが上がり、教室内でスキップを始める孝司。エロ要素を極力排除しようとしたせいで、余計に気持ちの悪い描写になっている。

※ あと、校内は授業中なのに、学校の外では明らかに部活動が行われていて、12時15分がどういう時間なのかよく解らない。別にいいんだけど。

学校の庭でクロッキー帳に絵を描いている昨日の少女・篠宮時音(吉柳咲良)を見つけて、話しかける孝司。当初はストーカーかと警戒されるが、ちょっとしたトラブル対応によって心を許し、数日(1日だけだったかな。よく覚えていない)の交流の後に明日から3連休だからデートしようということになる(時間が止まっているのだから、連休とか関係ないと思うけど)。で、1日目の終わりに喧嘩して、2日目に仲直りして、3日目は孝司の自宅で大量の料理とともにパーティーを行う。この大量の料理は時間停止前に作っているので、時間が動き出すと同時に手つかずの状態に戻るんだけど、どう処理しているんだろう。SFとして観てると、そういうことばかり気になってしまう。

とにかく物足りないのだが、せっかく時間が停止しているのに、この2人は公園や自宅で食事しているだけなんである。あと、この年だと恥ずかしくてできなかったからとトランポリンを飛んでいるだけ。別に犯罪を推奨する気はないけど、高級ブティックに忍び込んで片っ端からオシャレな服を着回すとか、その程度のことはしてもいいんじゃないのかな。あまりに道徳的すぎるので、奇抜なSF設定を利用したフィクションならではの状況を産み出してくれない。この映画の主題が、そっちじゃないからなんだけど。

さて、実は冒頭から何度も、竹内涼真演じる医師と妻である入院患者(石橋杏奈)のシーンが挟まれている。物語のバランスがおかしくなるほど何度も登場するので「その後の2人」なのかと匂わせてくるが、実は時音はウィルソン病という病気で入院中であり、竹内涼真は主治医だと中盤で判明する。このミスリードは少し感心した。竹内涼真夫婦もかつて時間停止を経験していたことから、自分たちと同じように孝司も時音の肝臓の適合者に違いないということになる。ややこしい状況を「かつての経験者」に全て説明させることでスムーズに話を進める手法は巧い。

後半の詳細は省くけど、とりあえず孝司の肝臓の一部を移植手術すれば時音が助かることは判明したので、あとは法律上の諸問題(二十歳以上だとか親族じゃないと移植できないとかの決まり事)をクリアしていくための試練に挑戦していく。強引ではあるが、若者が愛する人のために社会システムに挑戦を挑むのは、青春モノとしておなじみのパターンではあろう。いろいろと細部が気になるし、後半は時間停止の件が重要視されなくなっているけれど、このようにSF設定がちょっとした小道具としてしか扱われないのも、SFがジャンルの外部まで浸透しているという意味でいいことなのかもしれない。こういう作品で利用され続ける限り、SFは死なない。

※ 念のために言っておくと、この話の後半は病気を治すために奮闘するのであって、『雪の華』や『キミツキ』のような余命モノとは別種であることは強調しておく。同じカテゴリでくくらないように。

本作が映像作品デビューの吉柳咲良は、肉付きの良い体格なので食事制限のある長期入院患者にはとても見えないのだが、それより大知喜和子を思わせる力強い吊り目と掠れ気味の低い声に変な大物感があり、どうにも青春映画のヒロインっぽさに欠けていて、登場時は違和感がある。ところが孝司の視点によって2人の交流が進むことで次第に魅力的に見えてきて、最終的にはこの人でなくてはいけなかったんだと思えてくるから不思議だ。誰もが見た瞬間に神々しさを感じてしまう天性のアイドルみたいな人よりも、第一印象では「ん?」と思ってしまうタイプのほうが、この手の「段々と距離が縮まる話」のヒロインには向いているのかもしれない。毛色は違うけど、上白石萌音とかと似た系統かな。

 

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