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【邦画】『記憶にございません!』感想レビュー--三谷幸喜監督なりの「映画的な追及」が鳴りを潜めたために観やすくなっていた

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監督&脚本:三谷幸喜
配給:東宝/上映時間:127分/公開:2019年9月13日
出演:中井貴一、ディーン・フジオカ、石田ゆり子、草刈正雄、佐藤浩市、小池栄子、斉藤由貴、木村佳乃、吉田羊、山口崇、田中圭、梶原善、寺島進、藤本隆宏、迫田孝也、ROLLY、後藤淳平、宮澤エマ、濱田龍臣、有働由美子

 

※ 文中で結末には直接的に触れていませんが、部分的にはネタバレしていますのでご注意ください。この作品の場合、ネタバレしたところで面白さが変わるわけではないですが。

 

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57点
その名前によって映画ファンではない層にも集客効果が及ぶ映画監督は、今の日本では宮崎駿のほかには三谷幸喜しかいないであろう。そのため、映画公開に合わせて宣伝と称して多くのバラエティ番組に出演しては、ふざけまくるのが恒例となっている。自分は面白いという自意識を持った素人(プロの芸人ではない人)がバラエティ番組ではっちゃけると痛々しい限りなのだが、三谷幸喜監督の場合は「バラエティ番組に出る以上は、お客様扱いではなくプロとして振る舞わなくては」という義務感を持っているためかもしれない。

そう、三谷幸喜監督は、表現する媒体に対して、非常に意識的である。演劇であれ、TVドラマであれ、その媒体に対する過剰な敬意を抱き、どうあるべきか熟考して臨んでいる。同様に、映画に対しても、そこで披露する作品は映画的なものではなくてはいけないという確固たる義務感がある。『清州会議』の不快さも、『ギャラクシー街道』の下品さも、映画とはこういう過激なものだという思い込みの結果であろう。方法が解っていないので、無残なことになってしまうわけだが。

ところが本作『記憶にございません!』は過去作とは違い、映画的であることの追究を、ほとんど行っていない。本来得意とするフィールドである演劇やTVドラマの方法論をそのまま流用している。そのため、格段と観やすいのだ。映画的でないのだから、これは映画ではないという批判は尤もだが、それよりも観やすさを優先したことには一定の評価をくだすべきではないかと思う。

まず冒頭に、これは架空の国の話だとテロップで断りが出る。その割には山形とかアメリカとか実在の地名が出てくるので何も考えていない気もするが、とりあえず時代も判然としないフィクショナルな世界観であることは強調される。そして記憶喪失となった総理大臣が、その場しのぎで窮地を凌ぐ描写が連なるという、ワンシチュエーション・コメディが繰り返されていく。

劇中の設定は政治風刺にすらなっていない。国民から嫌われて全体未聞の支持率2.7%を引っ提げる主人公は、熱狂的な支持者を後ろ盾にやりたい放題している現実の今の総理大臣とは似つかわず、とてもモデルとは言えない。さらにはアタッシェケースに入った札束など、あまりに形骸化した政治とカネのイメージが当然のものとして登場する。定型をなぞるのは解りやすさを優先しているからだろうが、こういう政治家のイメージって、形骸化を通り越して今や通じないんじゃないか。政治家と聞いて田中角栄とか金丸信みたいな狡猾な悪人面を真っ先に想像する人、もう少数でしょう。

※ ちなみに本職が建築関係なので指摘しておくと、寺島進演じる大工が「コンピューター使える若いやつが持て囃されて、古い方法しかできない年寄りには仕事が来ない」みたいなことを言っていたが、実際には現場の職人にとってはCGとかあまり関係ないし、むしろ少子化で若者の職人が少ないので高齢でも引退できず仕事を続けざるを得ない人のほうが多い。これも三谷監督なりの解りやすさを優先したアナクロ描写なのだろう。寺島進は木造建築の大工らしいので、ツーバイフォーばかりで在来工法の案件が少なくなって自分の仕事が減っているという苦情なら、まだ解らなくもないが。

劇中で起こるスキャンダルは裏金、失言、女性問題、反社会との関係など多岐に渡るが、別に現実に起こったもののパロディとかではなく、とにかく解りやすさを優先して定番のものを並べているだけだ。いくらでも社会風刺にできるのに、そこに手を出していないのは本作に関してはベストであった。あえて探せば、殺し屋と揶揄された麻生太郎の格好に似た等身大パネルがあるとか、その程度。草刈正雄が水鉄砲で遊んでいたのは、かつて中川昭一のWikipediaに「趣味は水鉄砲」と書かれていたことからだろうか。ニッチ過ぎるので、違うと思うけど。

ともかく、そんなアナクロの極みみたいな総理大臣が記憶喪失になり、政治知識は三権分立を今さら教わっているレベルにも関わらず、政治的な駆け引きを取っ払って裏表の無い対応をすることで全てが好転していく。キレイゴトばかりの胡散臭いおとぎ話であるが、演劇的な舞台設計とTVコメディ的な笑いによって、ただただ楽しい仕上がりにはなっている。何より、総理大臣の側が特に大きな危機を迎えることもなく、順当に勧善懲悪の話が進むだけなので、ちっともハラハラせずに安心して鑑賞できる。映画的な刺激がないのは物足りないが、そもそも映画的なものを目指していないのだから、別にいいではないか。

ただ、せっかく時代も場所も曖昧な虚構空間を創っていたのに、ラスト近くになって「バスタ新宿」の文字がはっきり見えたのは、それまでの苦労が台無しになってしまった気もするが。あと、窓と同面の外壁に、あんな隠し通路は無理がないか。建物の外側、どういう形状なんだろう。

 

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