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【邦画】『こはく』ネタバレ感想レビュー--アキラ100%の役者としての素質が芸人のキャラクターとは完全に切り離されていたことに驚く

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監督:横尾初喜/脚本:守口悠介/原案:横尾初喜
配給:SDP/上映時間:104分/公開:2019年7月6日
出演:井浦新、大橋彰、遠藤久美子、嶋田久作、塩田みう、寿大聡、鶴田真由、石倉三郎、鶴見辰吾、木内みどり

 

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60点
芸人が主演を務める映画の場合、このブログの傾向からして、まずはその芸風やバラエティ番組での振る舞いから始めることが多い。本作『こはく』も、観る前はそのつもりであった。井浦新とともにW主演を務めるアキラ100%について思うことをつらつらと書き並べれば、レビューの半分を埋められるだろうというスケベ心があったのは事実だ。だが実際に『こはく』を観終えた今、アキラ100%について言及するのは無意味と思えるほど、本名・大橋彰は芸人としての側面を一切持ち込んでいなかった。

作品自体は、長崎を舞台にした小品で、丁寧に作られているところが好感を持てる。『淵に立つ』などで知られるベテランカメラマンの根岸憲一によるセピア調の画面が抒情を掻き立てており、風景を楽しむだけでもそれなりに満足はできる。ただ、昨今の地方映画にありがちなノワール的なアクはなく、かといってエンタメに徹した観光映画でもなく、淡々と話が進むだけなので物足りなさも感じる。長崎の住宅地特有の細い坂道も、エキストラ的に出演している地元の一般市民も、物語の中に虚構的に取り込んで作品の一部に昇華しているまでは至っていない。地方映画ならではの歪みが少しでもあれば良かったのだが。

監督の半自伝的な話なので、映画的な虚構性を加えて事実を改変するのに抵抗があったのかもしれない。大枠の話としては、井浦新と大橋彰が演じる30代後半の兄弟が、子供の頃に行方知れずとなった父親を捜すというもの。といってもこの手の話にありがちな、少しづつ父親の人生の軌跡が明らかになってくるというミステリー仕掛けではなく、主眼は常に兄弟の関係性に絞られる。母親と実家暮らしで無職の兄(大橋彰)と、父が残した店を立て直して家庭も持っている弟(井浦新)の間にある小さな軋轢のみによって、物語は推進力を得ているが、さすがに一本の映画としてはこれだけでは弱いのが、物足りなさの原因だ。

さて、兄役の大橋彰である。ちょっとした虚言癖があって「東京で芸能関係の仕事をしている」とか調子のいいことを言うし、美人を見かけたら口説こうとするような役どころで、弟の視点を通すことで情けなさが増幅され、哀愁漂う存在となっている。たしかに芸人・アキラ100%も、哀愁の漂う人ではある。40歳を過ぎてから裸芸でブレイクした現状には本人も戸惑いを隠せておらず、今でもTV出演時には挙動不審なところがある。しかし本作での大橋彰の哀愁と、TVでのアキラ100%の哀愁は明らかに別物だ。まず、TV出演時の落ち着かなさと打って変わって、役者としてのどっしりとした安定感がある。白髪の目立つ頭も、本作とTVでは全く別の意味を打ち出しているし。

映画などでの演技が評価される芸人は多いが、特に最初の頃は本業の芸風を演技の中に持ち込んでいる場合が大半だ。そのため、どうしても本来の芸風に引っ張られてしまい、演技の幅に制限がかかってしまうことがある(もちろん特定の演技において完璧であれば、それ自体は悪いことではないが)。最初からここまで本来の芸風を取り去って、映画の中に埋没する芸人は珍しい。TVでの芸風と映画出演時が全く違う人って、他に思い浮かぶのはアンジャッシュ・児嶋一哉くらいか。ということは大橋彰も、ああいう感じで黒沢清作品の常連みたいに役者としての存在感を増していくのだろうか。だとしたら楽しみだ。

最後に、もうひとつだけ。本作特有の映画的な仕掛けとして、たまに挿入される回想シーンでは兄弟の父親を井浦新が2役で演じていたが、ラストで現在の父親と出会った後は、同じ回想シーンが父親役の鶴見辰吾に入れ替わった映像で繰り返される。ここは弟の心境の変化などいろいろと深読みできるところかもしれない(が、深読みしたいというモチベーションになることができず、申し訳ない)。あと、エンクミは今でも愛らしいエンクミのままだった。

 

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