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【邦画/アニメ】『きみと、波にのれたら』ネタバレ感想レビュー--全てをコントロールできるアニメに「生身の偶然性」を取り入れた斬新な発明

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監督:湯浅政明/脚本:吉田玲子/キャラクターデザイン:小島崇史/アニメーション制作:サイエンスSARU
配給:東宝/上映時間:96分/公開:2019年6月21日
出演:片寄涼太、川栄李奈、松本穂香、伊藤健太郎

 

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78点
マンションの一室。部屋の中央に失敗したオムレツの乗ったローテーブルがあり、その前に母からの電話に出ている女の子がいて、両脇には天井まで段ボール箱が積み上がっている。と、段ボール箱が今まさに倒れんとして、中央にいる女の子がスマホを片手にしつつ手足を巧みに使って必死に押さえる。しかし中断の段ボールが潰れ始め、検討むなしく女の子の上に段ボールが崩れ落ちる。こうして文章にしてみると普通の喜劇かもしれないが、これを映像にできるのがアニメの力である。

実写では、まず無理なシーンだ。引っ越し直後とはいえ段ボール箱の数や積み方が非現実的だとか、マンションにしては天井が高すぎるといった、絵面の不自然さもある。加えて、タイミングよく中断の段ボール箱を潰すのも、うまく女の子にぶつかるように倒れさすのも、実写では技術的に非常に困難である。もちろんCGを使えば可能であろうが、それはそれで段ボール箱の下敷きになる女の子に死の危険を感じてしまい、とても喜劇にならない。床に散らばるオムレツの残骸も不快感を誘うし。

画面に映る神羅万象をコントロールできるのが、アニメの力である。湯浅政明監督の新作『きみと、波にのれたら』は、その力をこれでもかと見せつけてくる。湯浅監督作の特徴として、不定形な曲線を自在に動かすことで快楽をもたらす点があるが、今回も(『夜明け告げるルーのうた』の時と同じく)水の表現で存分に発揮している。同時に、人間の身体も曲線の組み合わせとして捉え、極端な遠近法による大胆な構図の人物を動かしまくる。

正直、物語はベタであり、さらには伏線が解りやすいので、先の展開が簡単に読める。大枠はよくある普通の話(青春恋愛もの+幽霊譚)なので、アニメに免疫がない人でも取っつきやすい。その一方、物語が普通だからこそ、細部にこだわる湯浅政明監督の狂気もはっきりと浮き出てくる。消防車のホースの連結部にまで曲線の動きによる快楽を取り入れるような、そういう細部への狂気。過去作は、物語や登場キャラクター自体が突飛だったために、あまり目立たず細部まで気にならなかったのだが。

さて、神羅万象をコントロールするアニメというジャンルに対しては、こんな定番の批判もある。曰く、≪アニメにドウサ(生身の演技)は存在しません≫≪作り手のコントロールの外にはみ出てしまうことが映画の醍醐味≫*1などと。こういうことを言って自身が行っている年間ランキングからアニメ映画を除外する輩までいるそうで、大変嘆かわしいことである。

この点について、本作は明確に反証を提示している。アニメにおいてコントロールが効かない生身の存在といえば、声優において他ならない。もちろん良質なアニメは、声優についてもほぼ完璧にコントロール下に置いていることが一般的だ(逆に、声優を巧く使えていないアニメは、それだけで非難の声が大きくなる)。だが本作の場合、ある一か所で、監督たちのコントロールの外に出た声優による「生身の演技の偶然性」を、物語ともリンクした最高の魅力として用いている。これは映画館でひっくり返りそうになるほどびっくりしたし、実際しばらく口が半開きになっていた。すげえことしてるぞ、マジで。

実のところ、実写映画では、時たま行われる手法ではある。ぼかした書き方をするが、役者にキャパシティを超えた要求をして、そこから発生する綻びを魅力として提示することは、それほど珍しいものではない。だがアニメで声優に対してこれをやるのは、もはや発明の域であろう。まさかアニメを観ていて「生身の偶然性」による高揚感を得られるとは思わなかった。荒井晴彦もビックリだ。

この件についてはとにかくファーストコンタクトが大事なので、ここでは詳細は伏せます。まだ観ていない人は、ぜひ本作を設備の整った映画館で体験することで、アニメの中の「生身の偶然性」との衝撃の出会いをしてほしいと、切に願う。「リア充爆発しろ」というネットスラングをこんなに気持ちよく(心の中で)叫んだのは初めてだ。

 

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*1:引用:『映画芸術』平成30年2月号 「討議 ベスト&ワースト選出方法を探る」 p40,41