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【邦画】『麻雀放浪記2020』ネタバレ感想レビュー--ベッキーが芸能活動史上最高のものを見せてくれるので、もうそれだけで満足

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監督:白石和彌/脚本:佐藤佐吉、渡部亮平、白石和彌/原案:阿佐田哲也

配給:東映/上映時間:118分/公開:2019年4月5日
出演:斎藤工、もも、ベッキー、的場浩司、岡崎体育、ピエール瀧、音尾琢真、村杉蝉之介、伊武雅刀、矢島健一、吉澤健、堀内正美、小松政夫、竹中直人

 

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57点
かつてベッキーが好感度の高い人気タレントとしてバラエティ番組を席巻していた頃、この人の「内面の空虚さ」が気になっていた。ハーフで丸みのある顔立ちが、セルロイド製で中身が空洞の西洋人形を連想させるという、見た目の問題もあったかもしれない。いくら満面の笑みでワイプを占領しようとも、ビー玉のような瞳の奥にある空っぽさが伝わってしまい、得体のしれない恐怖を与えてきた。

ベッキーの心のとびら

ベッキーの心のとびら

 

 

別にこれはボク個人の穿った認識でもない。有吉弘行が「元気の押し売り」というあだ名をつけたのは、ずいぶん前だ。当時は時代が早過ぎたものの、それから数年後には「実はネガティブ思考」「人間を愛することができない」などと、彼女が内に秘める空虚さがバラエティ番組でいじられるようになった。こうして元気ハツラツというパブリックイメージから脱却しようとしていた矢先に、例の不倫スキャンダル騒動が発覚する。

思い返してみても、あの騒動は不思議だった。別に犯罪でもなく当事者間の問題でしかない不倫で、ここまで社会的に制裁を受けるのかという恐怖もあったし、何より世間のベッキー観が「元気ハツラツな明るいキャラ」という、当時でもすでに古い認識のままだったのに驚いた。彼女の空虚な内面を正しく受け取っていれば、不倫とはいえ「あのベッキーが人間を愛することができるなんて、良かったね」という喜びで溢れ返ったはずなのに。ほとんどの人はTVなんてちゃんと見てないんだなと痛感した。

謹慎なのか自粛なのか静養なのか解らないが、とにかく一年ほどの空白期間を経てベッキーは芸能界に復帰した。再び我々の前に姿を現したベッキーは、かつて空虚であった内面があるものでパンパンに詰まっていた。はっきり言ってしまえば、溢れ出るほどの色気である。性愛系のスキャンダルを起こした芸能人にはありがちなのだが、元が空っぽなだけに、詰め込まれた色気の量も半端ない。健康的で適度に肉付きのある身体は昔のままでも、内面からの色気によって勝手にエロティシズムなものへと変換されてしまっている。これが、あの日以降のベッキーが備え持つ最大の武器だ。

で、やっと映画『麻雀放浪記2020』の話になる。本作において、ベッキーはこれまでの芸能人生で最高のものを見せてくれる。ベッキーは2役を演じていて、ひとつはAIを埋め込まれたアンドロイド、もうひとつが終戦直後の女雀士である。

アンドロイドのほうは、かつての空虚な内面のベッキーのイメージに近いものがあり、ある程度は予想できる範疇ではある。どこを見ているか解らない無表情で、加工された音声のセリフを喋るだが、あまりに自然に機械を演じている。よくよく考えてみれば、機械の役をここまで完璧にこなせる人物が、他にいるだろうか。対抗できるのはコロッケの五木ロボくらいではないか。どんな名演を見せる役者でも、役柄がアンドロイドという時点でベッキーには適わないだろう。生まれ持った天性の才能である。

もうひとつ、終戦直後の荒れ果てた浅草で主人公・坊や哲の世話をしていてママと呼ばれている女雀士の役。こちらは、今のベッキーの最大の武器である色気が、体中からドクドクと溢れ出ている。あの時代の日本女性という役柄なのに西洋系の顔立ちというアンバランスさも手伝って、有無を言わせぬ妖艶な魅力を産み出している。そりゃ童貞の坊や哲なんて色香でイチコロだろう。イカサマをする手つきまでエロスがある。

ベッキーの演技で驚くのは、アンドロイドを演じていてもわずかながら色気は出ているし、一方でママを演じていても空虚な内面が垣間見えるところである。そのため、機械でありながら人間的な魅力も混在させる一方で、妖艶な女性でありながら冷徹な一面をかすかに見せることができている。空虚さと色気の配分を自在にコントロールすることで、定型なキャラクターに深みを出しているのだ。ベッキー、なんて恐ろしい子!

というわけで、ベッキーの神がかった演技を鑑賞できるだけで充分なので、映画自体の評価なんてものはどうでもいい。それでも少しだけ触れておくと、仮想の現代日本を構築することで社会批評をしようとする意欲は解るが、やっぱり創り込みが適当過ぎる。「終戦直後の混乱した社会」と「政府による監視社会」を両立させるのは、そもそも無理があるし。少し前にポストアポカリプスとディストピアの違いがネットで話題になったが、その両方をひとつの世界の中に取り入れようとしているから、破綻してしまっている。

 

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