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【邦画】『きばいやんせ!私』ネタバレ感想レビュー--昨今の「東京の負け組が地方で祭りに参加する話」の中では、キレイごとを並べていないだけ好ましい

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監督:武正晴/原作&脚本:足立紳
配給:アイエス・フィールド/上映時間:116分/公開:2019年3月9日
出演:夏帆、太賀、岡山天音、坂田聡、眼鏡太郎、宇野祥平、鶴見辰吾、徳井優、愛華みれ、榎木孝明、伊吹吾郎

 

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62点
最近多すぎて飽和状態の「東京の負け組が地方で祭りに参加する話」の中では、頭ひとつ飛びぬけている。監督・武正晴、脚本・足立紳という安定した実績のある布陣に加えて、役者も演技の評価が高いメジャーどころを揃えているので、少なくとも無残なことにはならないとは判断できるのだが、それにしても予想外に良かった。

きばいやんせ!私 (双葉文庫)

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ある種の言い訳とも捉えられるが、鶴見辰吾が演じる胡散臭い映画プロデューサーの存在を劇中で出すことによって、実際にはこの映画にそういう人物は関わっていないことを主張している(事実は知らないけど、あちらの言い分としては)。自身の経歴が小さい文字でビッシリ書かれた名刺(ご丁寧にカンヌ出品のところだけ文字が大きい)を渡してくる鶴見辰吾は、いかにも詐欺師然とした笑顔で「一緒に盛り上げていきましょう」と具体性に乏しい発言ばかり勇ましいものの何も行動せず(祭りの最中も見ているだけ)、最後のほうでは周囲から無視されている。全国の地方都市を回ってご当地映画を作っているとか言っていたので、現実の誰かがモデルだと思われる。最終的には逮捕されていたし。

さて、ざっくりとしたあらすじ。不倫スキャンダルによって左遷された元女子アナ・児島貴子(夏帆)は、人気の出た後輩に嫌味を言っては言い返されたりと、邪険に扱われている毎日。全国の奇祭を紹介するゆるい番組の取材のため、小学校2年生の時に1年間だけ住んでいた鹿児島県南大隈町へ訪れる貴子。飛行場から車で迎えに来た役場の人との「山から煙が」「ああ、桜島ですよ」「桜島…」というバカな会話があるので、桜島を知らなくても女子アナになれるんだな。鹿児島でも貴子の出ていたニュース番組が知られていたので、キー局なのか。局内の雰囲気から、てっきりTOKYO MXのようなローカル局かと思っていたのだが。

テレビで祭りが紹介されたら観光客がいっぱい来るからと取材に積極的な町長(榎木孝明)らとともに実行委員会に参加する貴子。南大隈町の御崎祭りは女人禁制で、2日に渡って神輿を一度も降ろさずに佐多岬から神社までの20kmの険しい道を運ぶという。ところが、現在は高齢化で担ぎ手が集まらず、神輿を軽トラックで運んでいる。これではテレビの画にならないと呆れる貴子は「これが誇りですか!」と言い放つが、いきなり来た余所者にそんなことを言われたものだから奉賛会の会長(伊吹吾郎)は激怒する。

東京に戻ってからは、やる気がなくなって呆けている貴子。その様子に、かつての不倫相手であるプロデューサー(多分)から「カミツキガメに指をかまれろよ」などと、おいしい画は自分で作れと叱咤される。これ、テレビ局員が言っちゃいけないことだと思うが。そのあとADと一夜を共にして(ここがほんと無意味な展開なのだが、貴子のダメっぷりを補強したかったのだろうか)、再び南大隈町を訪れる。

まあそれから色々とすったもんだがあって、貴子はかつての御崎祭りを復活させると宣言する。その理由が「自分が変わるために、おいしい画を撮らなきゃいけないから」ってことで、とんでもない自己チューであるが、町の発展とか祭りの伝統とかいった思ってもいないキレイごとを並べられるよりは、こうしてはっきりと我欲のためだと宣言してくれるほうが清々しい。テレビ局がおいしい画のために祭りをでっちあげるとなると、最近のニュースを思い出さざるを得ないが、この場合はかつての祭りを復活させようとしているわけなので、町の側からしても悪い話ではない。

そこから神輿を担ぐための人出が集められるのだが、ここはダイジェストベースのため具体的な方法は曖昧としている。とにかく祭りの当日には充分な人が集まる。途中の山道で担ぎ手がひとり滑落してピンチになると、撮影スタッフがカメラを投げ出して神輿に参加、さらにはハンディカムを持っていた貴子も参加する。ここ、なんだか感動的なシーンにしようとしているが、撮影スタッフが仕事を放棄して祭りに参加することの意味が、これまでの経過となんら繋がっていないので、戸惑うところである。あと、この祭りは女人禁制だったはずなので、結局のところ貴子は伝統をぶち壊しにしていないか。

とまあ、出来事を丹念に分析すると引っかかるところは多いものの、他のご当地映画とは一線を画している。まず、祭りが衰退しているという現実的な負の側面を見せるところから始まるのは珍しい。で、東京から来たクソ女の自己啓発のために、とことん祭りが利用されている。その結果として、祭りがかつての姿を取り戻す(女人禁制の件は置いておくとして)。はっきり言って貴子の頑張りの源は、おいしい画さえ取れればいいというテレビ局の論理に支配されていて、ラストシーンに至る最後まで間違っている。だが、結果として祭りは一時的とはいえ復活していて、南大隈町にとっても悪い話ではない。それでいいんじゃないかという気持ちにもなる。

この映画には、何度か幻想的なシーンがある。ひとつは、食堂の店主(愛華みれ)や酔った貴子ら10人くらいが道路で踊り出すシーン。このときだけ、現実から引き離されたような不思議な空間になる。あとは、なぜか貴子が豚舎の鍵を開けてしまい大量の豚が逃げ出すシーン。逃げ惑う豚たちの真ん中で市役所職員の眼鏡太郎(『カメラを止めるな!』にVシネ監督の役で出演している人)がトランペットを吹いているというシュールな画になっている。また、劇中ではクドいくらいに貴子と死んだ父親の回想が挟まるのだが、貴子が神輿を担ぐシーンでは後ろで父親も一緒に担いでいる。解釈は難しいものの、これまでの仄かな幻想性のおかげで、不自然にはならずに済んでいる。

ともかく、雨後の筍のごとく大量発生しているご当地映画について、どういう批判をされているか解っているうえで制作されているのは好ましい。あと、南大隈町は余所者をおおらかに迎え入れる町だと劇中で言われているが、事実かどうかは別として、地方都市のアピールとしてこれは最良であろう。

 

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