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【邦画】『この道』ネタバレ感想レビュー--回想を誰かに語り始めるところから本編に始まるパターンの違和感

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監督:佐々部清/脚本:坂口理子
配給:HIGH BROW CINEMA/上映時間:105分/公開:2019年1月11日
出演:大森南朋、AKIRA、貫地谷しほり、松本若菜、小島藤子、稲葉友、伊嵜充則、柳沢慎吾、羽田美智子、松重豊

 

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53点
昭和27年の「北原白秋 没後十周年記念コンサート」で、少女合唱隊が彼の作詞した童謡「この道」を歌っている。指揮をするのは、EXILEのAKIRAが老けメイクで「音楽室によく張られている写真の顔」そっくりになった山田耕筰。コンサート終了後、若い女性記者から北原白秋がどんな人であったか質問されると、一旦は「彼のことは喋らないことにしている」と拒否するも、すぐに「特別だよ」と語り始める。そして時代が明治43年まで巻き戻り、回想として本編である北原白秋の半生が始まる。

ちょっと面白いというか珍しいなと思ったのは、インタビューを受けている"今"のシーンのほうがセピア調の色彩で、回想シーンよりも古びているように演出されているのである。そんなに珍しくないか。しかし、この古びた"今"のシーンをどう受け止めてほしいのか、ちょっと意図が読めなかった。

いつも思うのだが、回想を語り始めるところから本編に始まるパターンの映画って、実際は劇中で起こっていることを喋っているということなのだろうか。映画なのでセリフに頼らず顔の表情や情景なんかの表現ももちろんあるのだが、ああいうのも山田耕筰が口頭で説明しているってことか。そんなの無理だろう。どう考えたって軽く1時間以上は喋らないと劇中の出来事を全てカバーできないと思うが。迂闊に質問した女性記者は、老人の思い出話を延々と聞かされて、さぞ大変だったろう。

たとえば『ニュー・シネマ・パラダイス』のように、脳内で思い出しているというのなら問題ない。だが聞き手がいる場合、本編の間もずっと「この話を聞いている人がいるんだよなあ」と気になってしまい集中できないのだが、これはボクだけなのだろうか。まだ本作は記者がインタビューという仕事で聞いているわけだが、「おばあちゃん、昔の話してー」みたいな導入の時なんて、聞いたほうは軽い気持ちだったろうに、そこからの長話に対する苦渋の表情が目に浮かぶ。

そして本作最大の疑問は、語り手である山田耕筰が北原白秋と出会うのが、映画の中盤なんである。それまでの北原白秋の半生をどうやって山田耕筰が知ったのか、そこは触れられていない。語り手が不在の出来事が延々と続く不思議。本人に聞いたのか共通の知人を通した又聞きなのか知らないが、主観によるバイアスを示してくれないと、観客も捉え方が解らない。

北原白秋と山田耕筰は初対面で喧嘩別れするものの、関東大震災の直後に再開して、作詞・作曲のコンビを組む。ちなみに初対面で山田耕筰が「あなたの詩に私の音楽を乗せることで、もっと豊かになる」とか言っているので、まあ北原白秋は自作を低く見られたと思って怒るのも仕方ないよな。これは日本語のプロである北原白秋が言葉じりを捉えたとも解釈できるが、全体を通じて山田耕筰の発言って失礼で納得できないことが多い。

あとは、戦時中の思想がどう考えても現代人のそれでしかないのが気になった。北原白秋や山田耕筰や与謝野晶子は、背に腹は代えられないという心持ちで仕方なく軍部の意向に従っている。事実かもしれないけど、それが当時は異端であることははっきり示さないと。出てくる主要人物たちが全て現代の感覚っておかしいでしょう。唐突に菊池寛を出しただけではダメで、序盤からの登場人物が軍国思想を掲げて、北原白秋らと対立させるべきだったのでは。

昭和27年の山田耕筰が語っている話なので、自分の良いように話を創り変えた可能性はある。というのを含めて、山田耕筰はミステリで言うところの「信頼できない語り手」になってしまっている。しかもAKIRAの持つ胡散臭さが、そこを倍増させる。ところでこれ、実はLDH制作の映画なんだよね。『ハイ&ロー』シリーズと連なっていると捉えると、また違った趣がある。

 

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