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【邦画】『来る』ネタバレ感想レビュー--人工的に創られた虚構性の強い空間の中で、人知を超越した存在が何をしようとも、そこにある恐怖は映画館を出た時点で忘れ去られる

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監督:中島哲也/脚本:中島哲也、岩井秀人、門間宣裕/原作:澤村伊智
配給:東宝/上映時間:134分/公開:2018年12月7日
出演:岡田准一、黒木華、小松菜奈、青木崇高、柴田理恵、太賀、志田愛珠、伊集院光、石田えり、松たか子、妻夫木聡

 

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57点
ホラーなんだし、劇中で何度も驚く描写があるのだが、一番の衝撃はエンドロールだった。読めねえ。

ここまで何が書いてあるか解らないエンドロールは、邦画に限らずあらゆる国の映画でも、非常に稀ではないだろうか。たとえば『モテキ』(あ、これも川村元気プロデュースだ)のエンドロールも初見時は衝撃ではあったが、本編の内容に即してデザイン性を重視した結果であるし、ゴチャゴチャした余計な装飾を無視しようと意識すれば、一応は読める。だが『来る』は、こういうものとは種類が違う。

黒地に白の文字という、無味乾燥でありがちなデザインである。文字が小さい気がするが、まあ許容範囲か。まず原作者、そして主演の岡田准一、黒木華と順に名前が出てくるのだが、下から上へのスクロールではなく、画面中央に名前が表示されては1秒くらいで消えて、次の名前がパッと出てはまた消えて、というのを繰り返すのである。

これでも人名ひとつなら、追いかけられる。ところが、すぐに名前表記は2人になり、6人になり、ついには画面いっぱいに名前が並ぶ。しかし約1秒で消えるのは相変わらずなので、まず読み取ることはできない。ここからピスタチオ・小澤慎一朗の名前を見つけるのは至難の業だ。

さらにはスタッフも協力してくれた人や団体も約1秒で名前が消えていく。映画のエンドロールに名前が出ることを楽しみにしている人もいただろうに、こんな読みにくい表示のされ方で良かったのか。演出という割にはそっけないので「あえて」感も少なく、しかし書いてあることがほとんど読めないという重大な欠陥のあるこのエンドロールにしたのはなぜなのか。まさかとは思うが、エンドロールは「情報」であるということを認識していないのではないか。

そう考えると、映画本編の手法とも通じている。CM出身監督らしく、細かいカット割りによる瞬間的な刺激の羅列が並ぶが、読み取れる「情報」は少ない。いつもの監督の手法であるが、物語自体のテンポが遅いので、むしろ冗長に思えてくる。ずっと一定量の刺激が延々と繰り返されるだけで起伏が無いのだから。さらに、刺激の中に含まれる少ない「情報」が、「それはさっきから何度も知らされていることだよ」ということばかりだ。

人工的に創られた虚構性の強い空間の中で、人知を超越した存在が何をしようとも、そこにある恐怖は映画館を出た時点で忘れ去られる。現実と繋がっていないのだから当然だ。ラーメン屋で老婆の片腕がちぎられているのを周囲の客が突っ立って見ているだけという世界に、どれほどのリアリティを得られるのか。さらには、前半で妻夫木聡の体が半分に裂けているので、ここから先は何が起こっても驚きは少ない。

最終的には、劇中で「あれ」と呼ばれる何でもアリの存在に対して、バカバカしいほどスケールを大きくするという方法で立ち向かう。理論的な構築を積み重ねていないのだから、そういう表現でしか対応できないのだろう。あまりに非現実な状況を創り出すために、国家権力と懇意にしているとか中二的な発想で強引にどうにかしている。それでもいいのだが、話を収束させるわけでもなんでもなく、あくまで瞬間的な刺激のためだけに、あの舞台装置を創っているのだ。そしてまた、「情報」が少ない割に、ここが長い。

この映画、雑誌の紹介記事などでは、役者陣の演技力について多くの分量が割かれている。パンフレットの監督インタビューですら、ほとんどが役者についてだ。たしかに役者の演技は素晴らしい。だが邦画ファンならば、このキャストを見ただけで、すでに演技力の評価が定まっている人ばかりを集めたと思うだろう。ここに小栗旬でも入っていて、見事な演技でも見せていたら、また変わってきたはずだが。

さらには、役者たちの演技は確かに目を見張るものの、想像の範囲を超えない。薄っぺらな妻夫木聡も、育児ノイローゼの黒木華も、アウトローな岡田准一も、キャバ嬢の小松菜奈も、すでに別の作品で見たことがあるか、まあこれくらいはできるだろうなあというものばかりだ。斬新な配役と見せかけておいて、実のところ非常に保守的なのである。演技の幅を広げたと確実に言えるのは柴田理恵だけではないか。

主要キャストの中で演技の評価が世間的に定まっていないのは松たか子くらいであるが、彼女にはもっともリアリティから遠い虚構的な人物をあてがっている。この役柄は、松たか子の出自からくる高貴な雰囲気とはマッチしている。だからサマになっているし、あえての棒読みを自然にこなせるのは大したものなのだが、天性のサラブレッドである彼女なら普通にこなせる役柄だとは誰しもが予想できることだろう。

ともあれ、このような役者と役柄の組み合わせも、瞬間的な刺激のためとしか思えない。しかしこれって出オチでしかなく、そのあとに同じ演技を見せられたところで、ひたすら冗長になるのは当たり前なのだが。

 

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