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【邦画】『覚悟はいいかそこの女子。』ネタバレ感想レビュー--「無償の愛」とは、すなわち「自己満足」なのか

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監督:井口昇/脚本:李正姫/原作:椎葉ナナ
配給:東映/公開:2018年10月12日/上映時間:95分
出演:中川大志、唐田えりか、伊藤健太郎、甲斐翔真、若林時英、荒川良々、小池徹平

 

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54点
映画の内容に入る前にひとつ。このタイトル、「覚悟はいいか」と「そこの女子。」の間に「、」を打ちたくてしょうがない。倒置している文節をくっつけるのは気持ち悪いし、しかも平仮名が続くので切れ目が一瞬わかりにくい。極めつけは、なぜか最後には「。」があるので、余計に「、」が無いことに違和感が発生している。

覚悟はいいかそこの女子。 1 (マーガレットコミックス)

覚悟はいいかそこの女子。 1 (マーガレットコミックス)

 

 

さて、少女漫画を原作とした学園ラブコメディである。学校中の女子生徒からキャーキャー言われているイケメン王子が、学内一の美人にだけは相手にされず、必死で口説き落とそうとする定番の話。こんな型通りのラブコメを井口昇監督が撮れるのかという不安と、どうせなら血とか臓物とかバンバン出てくる話だったらいいなというかすかな期待(そんなワケないのだが)を胸に劇場まで観に行ったのである。

冒頭、高校生の古谷斗和(中川大志)が校門を抜けると、大量の女子生徒に取り囲まれてる。お決まりとはいえ、かなり戯画的に誇張されたシーンである。主人公のモテぶりを簡潔に説明するためのツカミで非現実なシーンを冒頭に持ってきたのかと思いきや、そのあとのファミレスのシーン(試験が終わったあとのクラスでの打ち上げ)でも、古谷の周囲に女子生徒が集まって他の男子生徒は除け者にされている。日常パートでも、この手の誇張が続くのか、だとしたら面白くなるかもしれないぞと、この段階では思っていたのだが。

幼いころからずっと同年代女子に取り囲まれていた古谷だが、同級生が彼女を作ったことにショックを受ける。取り巻きの男子からは「お前は鑑賞用男子だ」と核心を突かれ(「鑑賞用男子」というテロップが出る)、脱童貞同盟(略してDDD。もちろんテロップが出る)を結成して、彼女を作るべく立ち上がる。しかし古谷はモテ王子としてのプライドから、チアリーダーも読モもフルート吹いてる文科系女子も自分とは釣り合わないと拒絶する。取り巻きたちが呆れていたところ、ふと目に入った学校一の美女・三輪美苑(唐田えりか)こそが自分の彼女にふさわしいと、告白を決意する。

ここまでの流れは、けっこう良かったのである。テンポの良いスピード感もあり、脇役やエキストラも含めて全体的にテンション高めで話が進み、なかなか楽しいスクリューボール・コメディであった。だが、古谷が目を奪われた三輪のファーストショットでちゃんと顔を映さないという不自然な演出以降、どうも話がおかしくなっていくのである。

ちゃんと唐田えりかの顔が映るのは、次のシーンで古谷が告白しようと廊下で2人きりになった時である。これは悪口ではないが、唐田えりかはどちらかというと、どこにでもいそうな庶民性が魅力の役者だと思うのだが。まあでも、CGで派手にキラキラをつけたりすれば(ここまでの演出なら、そういうのもアリになっている)絶世の美女だと観客にも説得できるかもしれないのに、ちょっと周囲にボカシをかける程度のことしかしていない。そして、古谷は壁ドンで迫るも簡単に返されて、あっさりと無表情でフラれる。

ここから、古谷のダメアプローチぶりが繰り返されて、そのうちに古谷の真剣な想いに三輪が気づいていくという、おなじみの展開になっていく。問題は、まだ序盤と言っていい辺りで、冒頭の戯画的な誇張がなりを潜めていくのである。常に古谷を取り囲んでキャーキャー言っていた大量の女子たちは、どこに行ったのか。同時に話のテンポも悪くなり、スクリューボール・コメディとしての快楽は失われていく。

一方で、無理のある展開はそのままだ。最たるものが荒川良々演じる借金取りである。三輪は、母親の抱えた借金によってボロアパートに住んでいて、グラサン&縦縞スーツの絵に描いたような借金取りに取り立てをされている。冒頭の戯画的な誇張が続いていれば、そういうのも受け入れられるはずなのだが、テンションが違うからやっぱり不自然だ。この借金取りの行動が謎すぎて、三輪の家庭状況を古谷に話すことで発破をかけて、その後も古谷を影から見守っていたりする。てっきり最終的に古谷が倒すラスボスかと思いきや(そういう恐怖演出が何度かある)、「若者に発破をかけて見守る大人」というポジションなのだ。だったら人ん家のドアを蹴破って不法侵入したりするなよ。

借金取りもそうなのだが、どうもフリがおかしい。いつも三輪が嬉しそうに見つめている美術教師(小池徹平)に古谷が嫉妬していて、亡くなった三輪の父親と似ているという伏線らしきものもあったのに、これが古谷の勘違いじゃなくて本当に三輪が恋焦がれているのだ。誰だって、この教師は三輪の兄か親戚なんだろうなってミスリードされるよ、これ。そのミスリードに何の意味がないので、クライマックスで変な気持ちになる。え、そんな単純な話なの、と。

一番の問題は、古谷の行動がどれもこれも「三輪のためを思って行動している自分に酔っている」という、自己満足でしかないところ。なので、なぜ最終的に三輪が古谷に惹かれるのか解らない。金が無くて合宿に行けない三輪のためにこっそりバイトするとか、勝手に気持ちを推し量って高熱の三輪を雪の積もる外に連れ出すとか。普通は、三輪からしたらコケにされているとしか思えないんだけど。「無償の愛」とは、すなわち「自己満足」なのか。確かに真理ではあるが。

 

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