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【邦画】『ラプラスの魔女』ネタバレ感想レビュー--特に何もせず巻き込まれているだけの櫻井翔と、不思議なカメラワーク

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監督:三池崇史/脚本:桃原秀寿、橋本裕志/原作:東野圭吾
配給:東宝/公開:2018年5月4日/上映時間:115分
出演:櫻井翔、広瀬すず、福士蒼汰、志田未来、佐藤江梨子、玉木宏、高嶋政伸、リリー・フランキー、豊川悦司

 

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51点
冒頭、竜巻に襲われる母娘のシーンから始まる。大変なことが起こっているらしいのだが、カメラアングルがおかしな方向を向いていたりして、状況がよく解らない。小屋の中に逃げ込むものの、娘と繋いだ手が離れて、竜巻の中に吸い込まれてしまう母親。「お母さーん!」という叫ぶが、助からない。

ラプラスの魔女 (角川文庫)

ラプラスの魔女 (角川文庫)

 

 

この幼い娘が、本作のヒロインである羽原円華(広瀬すず)である。こういう掴みだと、実は竜巻の発生が誰かしらが人為的に起こしていて、それが本編の物語に大きく関与していると考えがちだ(私のお母さんが死んだのは、あなたのせいだったのね的なヤツ)。だから、あんな解りにくい映像にして、何か含みを持たしていたのかと。でもこれ、「幼いころに目の前で母親を亡くした」という円華のトラウマというだけのシーンなんである。意図は理解できるけど、だとしたらあの解りにくい映像は、単なる下手ってことか

そんな回想シーンのあと、本編が始まる。雪が深く積もる山中で、2人の防護マスクを着けた人物が、何かの濃度を測るカウンターを手にして進んでいる。カウンターの反応を見て、人体に影響ないと一人がマスクを外す。スクリーンに、知らない男の顔がアップで現れる。続いて、画面の奥のほうでもう一人が、会話の流れでマスクを外す。横向きだし急だしピントもちょっと合ってないのだが、それが櫻井翔。えーと、同じことを言いますね。下手か。

冒頭の数分で、真剣に造ってないことがバレてくるのである。三池崇史監督は、予算などの理由で自分のやりたいことをできないと悟ったときは、とことん手を抜く人なので、これもそういうことだろう。それでも監督のフェティシズムを感じる瞬間が一度でもあればいいのだが、今回は見つけられなかったなあ。『ヤッターマン』の時の「福田沙紀の股間に擦れるロープ」みたいな、そういう瞬間。三池監督、広瀬すずに魅力を感じていないのかもしれない。

あ、そういえば、ひとつ作家性というか変わったシーンがあって、大学の教授室で櫻井翔と玉木宏が会話をするところ。ずっと玉木宏が喋りながら室内を歩くのだが、それとは別にカメラが横にゆっくりスクロールしている。そしてそのままゆっくりと、櫻井翔が画面から外れる。少し経つと、カメラは反対方向に横スクロールし、同じ場所にとどまっている櫻井翔が現れる。何これ。かなり珍しい演出である。同様に、クライマックスでも不思議なカメラの動きが見受けられた。今回の三池崇史監督の作家性はこれか。遊んでるだけかもしれないが。

さて、ストーリー。地球科学を専門とする大学教授・青江修介(櫻井翔)は、温泉街の山の中で起きた硫化水素による死亡事故の調査をしている。いくら温泉地とはいえ、屋外で人が死ぬほどの硫化水素が溜まる可能性は低い。しかもそれが人為的に起こしたとは考えられない。刑事の中岡(玉木宏)から殺人事件の可能性を聞かれるが「ありえません」の一言で返す。

しかし数日後、別の温泉地で全く同じ状況での死亡事故が発生。どちらの場所でも、青江の泊まっている宿では謎の女(犯人を捜している円華)が現れるし、なぜか刑事は捜査内容やら被害者の人間関係やらを執拗に伝えてきて青江に事件の可能性は無いかと迫ってくるし。しかし中岡刑事、事件の捜査を代わりにやってくれないかとばかりに自分たちの仕事を青江に押し付けているが、単なる理系の大学教授に何を期待しているのだろうか。

ただ、ここで提示される謎は、けっこう魅力的なのだ。致死量に至る硫化水素を人為的に一カ所に溜められるなんて。現実的に無理だとしても、理系ミステリ作家の東野圭吾が原作であるからには、それなりの面白い解答を用意しているのだろうと、自然と期待値は高まる。で、その答えが「全ての物理現象を把握することで自然現象を予測できる能力があるから」って。もう、この時点でミステリでは無くなっている(実際、これから先、謎解きは人間関係についてのみになってしまう)。別にSFなのはいい。しかしSFだとしても、色々と疑問はある。

この超人的な能力を持つ男・甘粕謙人(福士蒼汰)について、「振ったサイコロが手から離れる瞬間に、サイコロにかかっている力の大きさや向き、下にある皿の材質や形状、サイコロと皿との距離などを瞬時に把握して計算し、出た目を当てる」という例で説明される。これは、まあ解る。未来予測に必要なデータは目の前に全てあるし、あとは超人的な計算能力でサイコロの動きを把握できるというのは、フィクションとしては飲み込める。

ただ、謙人は秒単位で雨が降るタイミングまで解るのだが、そうなると計算する手前の「空気その他の物理状態の把握」のほうは、どうやっているのか。五感をフル活用したって、はるか上空の空気の現状まで把握するのは無理だと思うが。あとこれ、おそらく意図的にごまかしているけれど、自然現象とは別の働き、つまり人間による作用についてはどうしているのか。クライマックスでは円華が車を動かしたことで、謙人の予想は外れることになる。つまり人間の動きは予測できないということだが、それにしては他のセリフとかだと「未来の全てを知ることができる」みたいなことになっているし。

この話、櫻井翔が何もやっていない件について批判されがちだが、巻き込まれた傍観者という立ち位置は、映画ではたまにあるので、まあいい(まったく別物だけど『戦場のピアニスト』とか)。それより鬼才の映画監督で謙人の父である甘粕才生(豊川悦司)の造形が引っかかる。「家族は失敗作だったので殺して、自分にとっての理想の家族を造る」というのは異常者の思考ということでギリOKだとしても、それが「嘘のブログを書く」って、やってることが小さすぎやしないか。妻と娘を殺しておいて、それか。

文句ばっかり言っているみたいだが、この映画は良かったところもあって、美術(ロケハン含む)と衣装は頭を使って考え込まれていたのでは。ラストシーンの廃墟は、あれくらいの大仰さで良かったと思うし。衣装についても、一応はトップアイドルである櫻井翔から適度にオーラを消していて、かといって単なる若手の大学教授とも思えないような、絶妙なバランスの服装だった。パンフレットでも、普段あまりない衣装やメイクや美術といった裏方へのインタビューが長めに掲載されていたので、その辺を楽しむ映画だとすれば面白いかもしれない

 

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