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【邦画】『いぬやしき』ネタバレ感想レビュー--木梨憲武の映画アウェイ感が、劇中の犬屋敷の不器用さとマッチしていた

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監督:佐藤信介/脚本:橋本裕志/原作:奥浩哉
配給:東宝/公開:2018年4月20日/上映時間:127分
出演:木梨憲武、佐藤健、本郷奏多、二階堂ふみ、三吉彩花、福崎那由他、濱田マリ、斉藤由貴

 

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62点
木梨憲武というかとんねるずは、その芸歴や知名度からすると、驚くほど映画との関わりが少ない。森田芳光監督『そろばんずく』は未見なのだが、それ以降も出演作自体が非常に少ないし、大抵は「とんねるずというTVタレントとしてのキャラクターそのまま」での出演である。『メジャーリーグ2』の石橋貴明とか。創り手の側での関わりとなると更に少なく、『矢島美容室 THE MOVIE』くらいである。あれも、とんねるずというキャラクターのまま、TVバラエティのノリを映画に持ち込んでいるだけであるし。

同世代のダウンタウンやウッチャンナンチャン、あるいは少し下のナインティナインと比較してみても、映画への関わりの少なさが際立つであろう。それほどまでに映画に向かないのはなぜかと考えるに、とんねるずの持ち味は「場を壊す」ということにあるからではないか。映画は、まず世界を創り込まなくてはいけないが、とんねるずは創るより先に壊してしまう。つまり、演出の範囲としての見えないお約束を、あえて破ることで笑いにつなげる。日常の一部であるTVであれば、それも有効だ。だが、わざわざ映画館に足を運んでスクリーンで鑑賞するという非日常体験でやってしまうと冷めるだけなので、この方法は得策では無い。

いぬやしき(1) (イブニングコミックス)

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前フリが長くなったが、木梨憲武が「とんねるずの木梨」というキャラクターを排除して主演を務めた映画『いぬやしき』である。とんねるず史においては、『みなおか』終了とともにエポックメイキングな出来事であろう。芸術活動以外で、木梨憲武が「とんねるず」という冠を外すことは非常に稀なのだから。そんな、俳優・木梨憲武は、どうだったのか。

定年間近だが会社では発注ミスを重ねて年下に怒られるサラリーマン・犬屋敷壱郎(木梨憲武)は、念願のマイホームを買うも妻や子供からも不評であり、相手にされていない。引っ越し祝いに寿司を買っていたのだが、家族は話を聞く気もなく、犬屋敷を残してファミレスに行ってしまう。完全に意識的な、父親イジメである。実例となる表現がステレオタイプではあるものの、どこにも居場所のない父親の哀愁はよく伝わってきた。

実は、この前半が、俳優・木梨憲武の演技で一番良かったところであった。リアリティよりも戯画的な誇張を優先したこともあり、気弱でオドオドした父親像が見事にハマっていた。妻役の濱田マリと対照的に、まったく映画という場に馴染んでいないアウェイ感も、プラスに作用していたし。

ガンで余命3か月となっても家族に言い出せない犬屋敷。夜の公園で謎の光を浴びて気を失い、気づいたらサイボーグとなってしまう。ここからの演技が残念なことに、とんねるず感が随所に出てきてしまった。突拍子もないSF設定のため、ある程度は説明セリフに頼らなくてはいけないのだが、自分のサイボーグ姿を見て驚いた顔とか、単語を発するだけのセリフとか、何か言おうとしたけれどやっぱりやめたときの口をモゴモゴ動かす感じとか、どれもコントのようなわざとらしさがある。たぶん、それしか演技の方法を知らないのだろう。あと、本来なら劇中でも力を入れるべき公園のシーンがやけにチープだったのも、コントっぽさに拍車をかけている。

フィクション(しかもSF)というガッチリ創り込まれた世界観に入り、場数を踏んだ役者に囲まれた中で、ひとり「とんねるずの木梨」を思い出させるコント演技をしてしまうと、どうしても浮いてしまう。例えばカメラの存在を示唆するなど、「場を壊す」ことをしないと、とんねるずの良さは活きないのだから。

で、ここで「ああ、やっぱりか」と思ってしまったものの、観続けると「いや、でもこれでいいのかも」と思えてくるのである。というのも、犬屋敷は善人ではあるが、あまりに不器用でもある。触れた生きものを治癒する能力があるのだが、こっそり病院に行って重病の子供たちを全回復させて回るという、「それは本当の意味で善行なのか?」という考えすら及ばない自己満足な不器用さを発揮する。見た目がじいさんということ以上に、確固たるポリシーを持たない気弱さによって、選ばれし者なのに全くヒロイズムを感じさせない。

ひとり「とんねるずの木梨」のまま浮いている木梨憲武の状況が、劇中の犬屋敷の状況とうまくマッチしているのである。しかも犬屋敷、不器用さは最後まで変わっていない。頭を使ったところは、ほとんど仲間である安堂直行(本郷奏多)の入れ知恵だし。多くの負傷者がいる中で自分の娘だけを真っ先に助けて周りはしばらく放ったらかしなのも、不器用極まりない。善悪とは何かを考える数段階手前の状態であり、そのおかげで本作は単純な勧善懲悪な話になっていない。勧善懲悪を回避する作として、こういう方法もあったのか。

今回、木梨憲武の演技のことで終始してしまったが、「乱立する漫画実写映画における最後の希望」こと佐藤健との対比が肝であろう。完全に無慈悲なサイコパスにせず、こちらはこちらで人を愛することへの不器用さがトリガーとなっている。登場人物が馬鹿だらけの邦画は多いが、登場人物が不器用だらけの邦画は珍しいし、それはそれで確かに面白い。

けしてツッコミどころは少なくない。スポーツドリンクによる騙し討ちは伏線を含めて巧かったが、そもそも食塩を何だと思っているのか、とか。今どき掲示板サイトが世論を扇動する描写は時代遅れだろう、とか。新宿を攻撃していると言っているのに、一瞬だけ渋谷のタワレコが映ったのはなぜか、とか。ただそれでも、犬屋敷の努力も報われず人は死ぬし、みんな根本的には最後まで不器用なままだし、たいしたカタルシスが無く微妙な後味の悪さが残るところは良かった。願わくは、次こそはとんねるずの冠を排除した俳優・木梨憲武を観たいところだが。

 

 

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