ヤガンEX

映画とか漫画とか似顔絵とか

【邦画】『泳ぎすぎた夜』ネタバレ感想レビュー--誰しもが子供時代の原風景を記憶の底から引きずり出される青森マジックリアリズム

f:id:yagan:20180419214534p:plain
監督:五十嵐耕平、ダミアン・マニヴェル
配給:コピアポア・フィルム=NOBO/公開:2018年4月14日/上映時間:79分
出演:古川鳳羅、古川蛍姫、古川知里、古川孝、工藤雄志

 

スポンサードリンク
 

 

62点
舞台は冬の青森の小さな町。6歳の少年が、父親の働く魚市場まで行ってみようと、ちょっとしたひとり旅に出る。ただそれだけ。大きな事件が起こるわけでもなく、セリフすらほとんどない。どうしたって退屈な話になりそうだが、これがなかなか観ていて心地よいのである。

夜の台所。父親はタバコを1本吸った後、市場用の帽子を持って仕事に出かける。その物音に目覚めてしまった6歳の少年。母親も姉も寝ているので、デジカメでおもちゃの写真を撮ったり、父親がタバコを吸っていたのと同じ位置でお菓子を食べたりして、ひとりだけの特別な時間を過ごす。そして、魚やカメなどを描いた絵を、ふとランドセルにしまう。

朝になっても少年は寝ぼけまなこ。ぼんやりしたまま姉に靴下を履かせてもらって、ランドセルを背負って学校の前まで行くものの、引き返して進路を変えてしまう。ふらふらと新雪に足跡を付けながら、あらぬ方向へ進む少年。彼の頭の中ではいまだに、夜の世界を泳いでいるままなのだろう。

単線ローカルの電車に乗り、父親の働く市場へ向かう少年。こうして彼の「ちょっとした冒険」が始まる。途中でミラーに雪をぶつけたり、階段に座り込んで持ってきたミカンを食べたり、立ちションしようとしたけれど人の目が気になって諦めたりと、こういった仕草の一つ一つを観ていると、自分が子供だった頃に経験した「ちょっとした冒険」が記憶の底から引きずり出されてくる。なんでもないことが、あの頃は一大事であった、と。

少年は市場の位置が解らず、トラックの行く方向に進んでみたりと、雪で真っ白な知らない街の中を彷徨い、ショッピングセンターへと入っていく。ここでも、セルフサービスの水を飲んだり、トイレのハンドドライヤーに手を入れたままにしたり、ゲームコーナーのレーシングゲームのデモ画面を見ながらハンドルを動かしたりと、6歳の少年だからこその小さな楽しみを発見していく。ある年齢以下の人にとって、ショッピングセンターは心の奥底に眠る原風景としてドンピシャではなかろうか。

いくつかのヒントを得て父親の働く市場を見つけた少年。しかしすでに中には誰もいなかった。外に出ると雪がふぶいている。そこで少年は、駐車場に止まっている車のドアを片っ端から開けようとする。そして鍵のかかっていな車を見つけると、後部座席に乗り込み、そこで眠ってしまう。

だが、しばらくすると車の持ち主が戻ってきてしまった。後部座席で眠る少年に気づかず、車は発信してしまう。ここで初めて、この映画において事件の予兆らしきものが感じられる。バックミラーに映る運転席の男の目が、何とも言えない恐怖をこちらに与えてくる。

と、思ってしまうのである。冷静に考えれば、運転手の男は少年の勝手さに巻き込まれただけの被害者である。大人である我々は、本来なら運転手のほうに同情しなくてはいけない。だが、これまで散々「ちょっとした冒険」を記憶の底から引っ張り出され、気分は子供時代のワクワク感でいっぱいにされてしまっているため、どうしたって少年のほうの視点で見てしまうのだ。知らない大人は、知らない大人という名前の恐ろしい存在としか認識できなくなっている。

結果として、後部座席の少年に気づいた運転手は、ランドセルから学校を割り出して電話で連絡を入れ、自宅まで送っていくという超善人ぶりを発揮する。少年のほうはずっと寝ているので、そんなことは知る由もないが。こうして、彼の「泳ぎすぎた夜」は終わりを迎える。同時に、観客である我々が記憶の底の原風景とともに追体験してきたそれぞれの「泳ぎすぎた夜」も終わる。

少年を演じた古川鳳羅(こがわ・たから)は、監督がたまたまコンサート会場で見つけた一般の子供で、芸能事務所に入っているわけでもない。さらには、映画中に登場する両親や姉も、実際の家族である。ほぼ素の状態の鳳羅くんを撮影しているわけで、ともすればドキュメンタリーチックになりそうなものだが、ほとんどを固定カメラで撮影しているために「映画的に創られた空間イメージ」が演出されている。極端なセリフの少なさと青森の雪景色の効果もあり、妙に映画全体が幻想的である。『ウルトラミラクルラブストーリー』以来の青森マジックリアリズムではないだろうか。

 

スポンサードリンク