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【邦画】『暗黒女子』--清水富美加と「ごきげんよう映画」の親和性

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監督:耶雲哉治/脚本:岡田麿里/原作:秋吉理香子
配給:東映=ショウゲート/公開:2017年3月4日/上映時間:118分
出演:清水富美加、飯豊まりえ、清野菜名、玉城ティナ、小島梨里杏、平祐奈

 

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56点
ミッション系の女子高を舞台にした映画は、もはやひとつのジャンルといえるほど大量にある。作品の紹介文などではゴシック風味などと形容されることが多いが、個人的には「ごきげんよう映画」と呼んでいる。この手の映画では間違いなく、彼女たちの挨拶が「ごきげんよう」だからである。

「ごきげんよう映画」には、いくつかの利点がある。例えば、女生徒の喋り方が「お嬢様口調」でパターン化しているので、たとえ棒読みでもそれほど気にならない。舞台劇のように非現実的な作り物めいた空間でも許容される。スマホなど物語の進行上邪魔になりそうな文明の利器を排除することができる、などなど。また、外界と遮断された閉じた世界にできるというのもあり、本作『暗黒女子』の場合は、一般社会なら相当無理があるであろうとある情報操作を「学園の内部だけならどうにかなるだろう」と押し通していた。

映画『暗黒女子』をミステリーとしてとらえるならば、いや、単純にストーリーを追うだけならば、あちこちに欠陥のある駄作である。ただそのほとんどは原作小説そのままではある。ボクは原作小説を単行本刊行時に一度読んでいたが内容をけっこう忘れていたため、今回の映画版で「こんなメチャクチャなシーンあったか?」と何度も疑問を生じていた。だが鑑賞後に改めて読み直してみたら、かなり原作に忠実であったことがわかった。文字だけでは流してしまうところも、画にすることでおかしさが際立つものである。

ただ、「ごきげんよう映画」としては一見の価値がある映画なのも確かだ。どういうことかというと、「ごきげんよう映画」と清水富美加という女優との親和性の高さが尋常ではないのである。

学園内の女王的な存在が「謎の死」を遂げ、配下にいた後輩4人がその件についてそれぞれの視点で作文を書いてくる。どの作文も「私はこんなにも女王に好かれていた。一方、女王を妬んでいたあいつが殺したんじゃないか」という内容で、各々の話には相当な齟齬がある。かといって、名作『秘密』『FORMA』などのように、複数の視点が重なることによって真実が見えてくる、とかでもない。また、こういうのにありがちな「同じエピソードを別の視点から」みたいな演出も皆無。同じシーンを同じように繰り返すだけだ。

しかもこの4人揃った場所で「死の真相」を目の当たりにしているということになっているのだ。普通の感覚だと共犯関係になり、口裏を合わせてその場にいない者を犯人に仕立て上げると思うのだが、なぜ罪をなすりつけあうのか。それでどういう成功プランを想定しているのか。

で、こうなることがすべて清水富美加の想定通りなんだというから、すごくないか。一応「誰もが主人公になりたがっているから」というエクスキューズがあるのだが、「ごきげんよう映画」だからってそんな理屈は納得しがたい。それなのに本作に説得力を持たせているのは、清水富美加の存在から放たれる"宗教的神秘性"ゆえである。芸能ニュースによるイメージの上書きも過分にあるだろうが、存在感を消しつつ実は全員を手のひらの上で操っているという非現実な役どころを雰囲気だけでこなしてしまうのは、元々持って生まれてきたものなのだろう。リアリティを求める映画だったら浮いてしまうだろうが、ハナから作り物めいた「ごきげんよう映画」では、この特性がいかんなく発揮できていた。

女優・清水富美加(本名)は、今後はマジの宗教映画に出演することになると思われる。彼女の持つ"宗教的神秘性"との融合が万一うまくいってしまった場合、とんでもない怪作が誕生するかもしれない。

 

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原作小説

暗黒女子 (双葉文庫)

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