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【邦画】『溺れるナイフ』レビュー--スクリーンに菅田将暉が映ったとたん、周囲の風景は彼の所有物であるかのように変換される

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監督:山戸結希/脚本:井土紀州、山戸結希/原作:ジョージ朝倉
配給:ギャガ/公開:2016年11月5日/上映時間:111分
出演:小松菜奈、菅田将暉、重岡大毅、上白石萌音、志磨遼平

 

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68点
映画を撮るということは、実在する人・モノ・風景を、カメラを通してスクリーンに映すことで虚構の存在として創り直すことだ。神が世界を創造するのと似た作業である。

映画『溺れるナイフ』は、この作業を行うにあたり、「スクリーンの中に神を登場させる」という斬新な方法を行っている。大役を任された菅田将暉は、町一帯を仕切る神主一族の跡取りという設定もあるのだが、それ以上に白い髪と細い体といったビジュアルとエキセントリックな言動によって、全身で神を体現する。「この海も、山も、俺のもんじゃ」というセリフに違うことなく、スクリーンに菅田将暉が映ったとたん、周囲の風景は彼の所有物であるかのように変換される。日本のどこかに実在するはずの海も、山も、川も、空も、まるで人工的に創られたアート作品のように虚構性の強い美しさを醸し出すのだ。

本作のヒロインである小松菜奈も例外ではなく、神のごとき菅田将暉の所有物となる。ただ勝手が違うのは、この人はデビュー作『渇き。』からずっと、細い目をさらに細めることで感情の見えない神秘的な雰囲気を出している、もともと虚構性の強い女優であることだ。さらには「東京では中学生トップモデルとして君臨していた」という設定も、虚構性に拍車をかける。鳥居をくぐった先で初めて対面する菅田将暉は、神が人間を創造するのと同じように、彼女に感情を与えて魂を入れ直す。ところがここで若き神の未熟さが露呈する。魂を入れられた小松菜奈は、ごくごく当たり前の感情を芽生えさせてしまい、「恋する普通の中学生」となってしまう。小松菜奈の虚構性に自分と同じものを感じ、それゆえ惹かれていた未熟な神は落胆する。

さらには、菅田将暉が自分の所有物であったはずの小松菜奈を守ることができないという決定的な事件が起こり、若き神は己の未熟さに大きく落胆する。ここからしばらく、落ちぶれた神となった菅田将暉の登場シーンは減り、現実的な存在である重岡大毅の存在感が増していく。そのためスクリーンに映る風景も、虚構性による美しさは薄れ、どこにでもある場所へと変換される。もちろんたまに菅田将暉と小松菜奈がスクリーンの中で重なると、やっぱり虚構性は復活するのだが。

小松菜奈は、落ちぶれた若き神に救いの手を差し伸べるため、一度は失った虚構性を取り戻し、さらに肥大化させるという方法をとる。神が小松菜奈に対してやろうとしてできなかったことを、小松菜奈が自分で体現することで、神に自信をつけさせるのだ。そして、最後の最後で小松菜奈がせっかく手に入れかけた虚構性を失いそうになったとき、若き神から一助を与えられる。若き神はある一線を超えたことで、小松菜奈に真に魂を与えることに成功し、同時に自らの未熟さとも決別したことで神としてひとつ高みに上る。

ただ、神が一線を超えて小松菜奈に魂を入れた直後、ここまで存在感の薄かったある人物が、明らかに壊れてしまう。細い目で虚構性を具現化する小松菜奈と対照的に、正円のごとく見開いた目を髪の間から見せたあの人物は、小松菜奈を救う代わりに神が犠牲とした存在だ。神といえども人間に魂を入れるには、相応のリスクが伴うのだ。

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