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【邦画】『聖の青春』レビュー--劇中で羽生善治が登場するとき、視点は「羽生を見る村山」になる

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監督:森義隆/脚本:向井康介/原作:大崎善生
配給:KADOKAWA/公開:2016年11月19日/上映時間:124分
出演:松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、柄本時生、リリー・フランキー

 

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67点
『聖の青春』は、天才と言われながらも29歳にして亡くなった実在の将棋棋士・村山聖の半生(というか、最期の数年間)を描いた映画である。この映画がまずスゴいのは、将棋のことをよく知らなくても鑑賞に差し支えないというところ。おそらく、駒の動かし方すら知らなくても問題ない。ひとつだけ押さえておけばいいのは、羽生善治という人が持つ独特のカリスマ性である。

ふと思ったのだが、日本が羽生善治の話題一色になったことをリアルタイムで知らない人もけっこういるのか。七冠を達成したのが1996年だから、ちょうど20年前か。若い人は知らなくて当然か。将棋棋士が連日ワイドショーで取り上げられたのって後にも先にもあの一度きりではなかったか。あ、なんか急に「突撃しまーす」って幻聴が聞こえたけど、気のせいだ。気のせいに決まってる。

本作『聖の青春』は、もちろん村山聖を主人公としているのだが、どちらかというと群像劇として捉えたほうがしっくりくる。5歳にして早世を宣告され、階段を上るのにも死と向き合わなくてはいけない人生を歩まざるを得ない村山聖は、生きていることの意味なんか考えたことのない人からしたら「超越した存在」である。両親も、師匠も、棋士仲間も、弟弟子も、この「超越した存在」とどのように距離を取るかで、自己の平凡さとどう向き合うか再検討することになる。そのため、村山聖以外の人の視点となっているシーンも多い。

唯一の例外が、羽生善治である。村山聖は、羽生善治に対して尋常ならざるほどの敬意を抱いている。その理由は劇中で説明されないが、20年前の羽生フィーバーを知っている人ならば、それも当然だと受け取るだろう。それだけ、羽生善治には独特のカリスマ性がある。劇中で羽生善治が登場するとき、視点は「羽生を見る村山」になる。「超越した存在」の更なる上に、もうひとりいるのだ。

そして後半、村山聖と羽生善治が2人で小さな食堂に入り、2人で会話をする名シーン。ここで初めて、羽生善治の視点というものが確認される。羽生善治は「深く潜りすぎて、そのうち戻ってこれなくなるんじゃないか」「村山さんとなら、そこまでいけるかもしれない」と、村山聖に対する敬意を示す(このセリフを聞いて「あ、『ハチワンダイバー』だ」って思ったのは内緒だ)。2人の「超越した存在」の心が繋がったあとだからこそ、ラストの対局シーンに、鬼気迫るものを感じることができる。

その独特のカリスマ性を広く知られ、今でも現役のトップランナーである羽生善治を主人公と対にしたことで、本作は名作たり得ている。そのためには、そこにいるのは本物の羽生善治なのだという説得力が必要だ。演じる役者は、演技というよりは憑依に近いレベルで羽生善治になりきらなければならない。実は前情報をほとんど入れずに本作を観たのだが、羽生善治を演じている人が本当に誰なのかわからなかった。エンドロールで名前を見たときでさえ、「この人、どこに出てた?」って思ったくらいだし。とんでもないことであろう。

聖の青春

聖の青春

 

 

 

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