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【邦画】『脳漿炸裂ガール』--デス・ゲームもので、あとからルールを追加して説明するの、いい加減やめてくれないかな

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「人気ボカロ曲『脳漿炸裂ガール』が実写映画化!」という謎のフレーズを目にしたのは今年3月頃だったか。人気ボカロ曲と称されるものは数あれど、中でも断トツで歌詞に物語性のない電波ソングを、なぜ映画にしようと思ったのか。小説にしたものがすでに出ていて、その映画化ということらしいが。もしかしたら、あの歌詞の「不条理」(この曲をこの単語で表すのも違うような気もするけど、今回はとりあえず)を免罪符にして、脚本の整合性とかガン無視したとんでもない映画になってる可能性もあるかも、という薄い期待をしつつ観に行ったみたわけである。ちなみに金曜夜の角川シネマ新宿には、ボク以外にはおじさんが5人ほどいただけでした。

 

内容はというと、お嬢様学校を舞台にしたデス・ゲームもの。主人公の女の子が目を覚ますと檻の中にいて、クラスメイトも同じ状態で、強制的にゲームに参加させられて失敗したり反抗したりすると銃で撃たれるという、よくあるヤツ。登場人物を「不条理」な状態に置くことで曲のイメージにあわせたということかもしれないけど、デス・ゲームを行う理由とか一応あったりするので、話そのものの「不条理」性は消そうとしている努力が垣間見える。ところで、銃でこめかみを撃たれた女の子の頭部からは赤い血ではなくジェルみたいな透明な液体が飛び散るんだけど、周囲はそのことに何の疑問も持たず死んじゃったって騒いでいるので、三池崇史が赤いビー玉で血しぶきを表現したのと同じようにR指定を免れるための措置なのかと、普通は思う。

 

で、ゲームの内容だが、たとえば4択の問題に間違えると撃たれるやつ。1問目、全員正解だったのに、ひとりの女の子が撃たれる。そして主催者が「そうそう言うのを忘れてました」と、全員正解だった場合は一番最後に答えた人が撃たれるんですと、あとから説明してくる。安易なデス・ゲームものでありがちだけど、いい加減こういうのやめてくれないかな。ルールの一部を隠している時点で頭脳戦も心理戦も成り立たないから面白さはゼロになっちゃうから。主催者側のサディスティックな趣味でしかないから。漫画だけど『カイジ』も『ライアー・ゲーム』も『今際の国のアリス』も、基本的にはゲームのルールを最初にちゃんと説明するわけである。たまに説明しないときもあるけど、それは「いかに早くルールがわかるか」自体がゲームに組み込まれている場合。

 

まあ、そんな感じでぬるいデス・ゲームをぬるい感じでこなしたすえに主人公と主催者が対峙する。主催者は「この銃は人を殺すのではなく、脳漿を炸裂させて命令通りに動く人形にする」的なことを言い出して、これまで撃たれた人たちが集まってきて、主催者の「狂ったように踊れ!」との言葉のとおりに踊りだす。だったら最初のほうで透明な液体が飛び出た時に「何アレ?」みたいなことを言ってくれよとは思うが、それよりもここで大問題なのは、元となった曲のタイトルである『脳漿炸裂ガール』と、サビの「狂ったように踊りましょう」という重要なキーセンテンスが、どっちも「悪」の側のものとして採用されていることである。『脳漿炸裂ガール』を映画化するにあたって、それで本当に良かったのか。どう考えても曲を否定しているとしか思えないが。

 

ボカロ曲『脳漿炸裂ガール』の持つ「不条理」を言い訳にすれば、何やっても許されたはずなのに。もったいなかったなあと思った映画でした。どうでもいいけどマカロン食べたい。