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【映画/企画上映】歌舞伎町から映画館が消えた日―「新宿ミラノ座より愛を込めて ~LAST SHOW~」(その2)

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さよなら!

 

前回よりつづく

 

ミラノ座のラスト上映、ボクが最初に観たのは時をかける少女(大林宣彦/1983)。上映前には劇場支配人・横田さんのたどたどしい挨拶もあり(ちなみに横田さんは回を追うごとに挨拶がうまくなっていった)、その中でロビーにラベンダーの香りを漂わせていたことが明かされた。「上映後に違う時代、違う場所にタイムリープしても、当劇場は一切責任を負いません」というオチで笑いをとっていたが、ラベンダーの香りは別にして、ミラノ座という空間の中にいると今がいつだかわからなくなる感覚に陥ったのは事実だ。ロビーにて、明らかに何日も風呂に入ってなさそうなおじさんがベンチの端っこに座り、前かがみでコンビニ弁当を食べていた。それを見た時、「あ、懐かしい!」と瞬間的に思った。

次に観たのが、監督の妹のほうがまだ弟だった頃のマトリックス(ウォシャウスキー兄弟/1999)。当時最新のVFXを用い、今いる世界は虚構であるという電脳SF話なのに、35mmフィルムという質感のアンバランスさが郷愁を誘った。綺麗に画像処理されたブルーレイでは味わえない感覚だ。

鑑賞3作目は新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 Air/まごころを君に(庵野秀明鶴巻和哉/1997)。作中の実写シーンでミラノ座の客席が使われたがゆえにラインナップに入ったのだろう。スクリーンの中の世界と我々が座っているまさに今この場所がグンニャリと混ざり合うかのような体験は、ミラノ座が閉館すると同時に誰もできなくなるのである。

以上3作に共通するのは、「現実と虚構」というキーワードだ。『時をかける少女』は、尾道3部作と言いながらわざと海を極力映さなかったりと、似非ノスタルジーな虚構空間を創り上げている。『マトリックス』『エヴァ』については説明するまでもない。この3作を観たのはたまたまなのだが、作品鑑賞によって感じるあくまで虚構としてのノスタルジーと、ミラノ座の館内にいることで感じる現実のノスタルジーが重なり合い、不思議と涙が出てきた。もちろん、ボクの映画鑑賞人生が歌舞伎町から始まったという個人的事情が大きいからなのだが。あと、花粉症だからかもしれない。

さて、12月31日の最終日。10時から『荒野の七人』(ジョン・スタージェス/1960)、13時からE.T.(スティーヴン・スピルバーグ/1982)である。9時前には『荒野の七人』を観るための長い列ができており、それとは別に『E.T.』も既に発生していた。今回の上映は完全入れ替え制なのだが、チケットカウンターでは「『荒野の七人』を観たあとに『E.T.』の列に並んでも立ち見の可能性があります」と言われた。こういう気づかいがミラノ座らしい。なお、ミラノ座のスタッフは、1000人を超える大行列のさばき方も堂に入っていた。

『荒野の七人』という作品の素晴らしさは改めて説明することもない。『E.T.』は、かつて50万人以上を動員し、ミラノ座の最高動員数を記録している。このラスト上映は、その当時の熱狂を再現しようとしたのかもしれない。上映されたのが2002年のアニバーサリーバージョンだったり、子供が少ない(それなりにいたけど)などの違いはあるものの、かなり近い状態になっているのではないかと、満席でしかも客席の後ろや横に溢れんばかりの人が立っている館内を眺めながら、考えていた。いや、当時のこと知らないけど。

「映画の街・歌舞伎町」が終焉したと言い切るには、まだ早い。コマ劇場跡地に建てられたTOHOシネマズ新宿が4月にオープンするため、歌舞伎町から映画館が消えるのは、実質3ヶ月半だけである。相変わらず立地上のハンデはあるが、都内では未だ少ないIMAX完備であるし、それなりに繁盛するだろう。ただ、TOHOシネマズ新宿のロビーには、何日も風呂に入っていなさそうなおじさんは、きっといない。35mmフィルムがかけられないという点も含めて、これまでの「映画の街・歌舞伎町」とは全く別の“空気”になるであろう。少なくともTOHOシネマズ新宿の側は、これまでの「映画の街・歌舞伎町」的なものを極力排除するよう努力するはずだ。それでもミラノ座の閉館とTOHOシネマズ新宿の開館が「映画の街・歌舞伎町」という大きな歴史の流れの中で結びつくのか、それとも大方の予想通り一度完全に歴史が断絶するのか、それはもう少し待ってみないとわからない。

 

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