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【邦画】『25 NIJYU-GO』--温水洋一の圧勝

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東映Vシネマ25周年記念作品とのことだが、Vシネマに関する知識がほぼゼロ(作品を通して見たことが一度もない)なので、本作がVシネマ的にどうなのかの判断はできない。25人の豪華キャストというが、知識ゼロのボクでも「Vシネマ俳優」と認識できるのは哀川翔と小沢仁志くらいで、あとはVシネマにどれだけ貢献している人たちなのかもわからない。むしろ竹内力とか白竜とかが出演していないほうが気になる。警察、ヤクザ、半グレ、麻取が入り乱れる銃撃戦の中、マフィア役の竹中直人が尋常じゃないスローペースで立ち去ろうとするシーンのわけのわからなさ(竹中直人は、その場にいる複数人から命を狙われる危険があるのに)は、「だってVシネマだから」の一言で片付くのだろうか。歩く竹中からカメラが切り替わって銃撃の模様をしばらく写し、再度カメラが竹中に戻ると、さっきの位置からまったく進んでいない。カメラが向いてないときは一時停止しているのか。

 

そんなわけでVシネマとしての評価はできないため、本作を日本映画として捕らえるしかないのだが、豪華キャストだという25人の役者は、あくが強い人ばかりである。脇で強烈な個性を放つ存在であり、映画界には必要な人材だが、主役となると違和感が発生してしまう人たちだ。

 

本作の主演である哀川翔は、劇映画の主演も何度かしており、力技で違和感すら「あり」にしちゃっている役者であるので、まだいい。問題は、普段は主演をしない役者たちが、スポットライトが当たった途端に違和感を発生させてしまうことだ。例えば波岡一喜。本作でほぼ唯一と言っていい「途中で正体が明らかになる」という役だが、そのためとってつけたような愁嘆場にまで絡んでしまう。スポットライト、浴びまくり。違和感、ありまくり。

 

まあ、役者陣も自分のことをわかっているのだろう。誰もがスポットライトを浴びないように注意を払っているようであった。端っこで目立とうとするが、なるべく中心には来ないように気を使っていた。しかしどうしてもスポットライトが当たってしまうのが、死ぬときのシーンである。どれだけ「脇役のまま」死ぬかという難しいチャレンジをさせられていた役者が何人もいた。嶋田久作は上手だったなあ。

 

そんな中、ほぼ出ずっぱりでありながら、一度もスポットライトを当てられなかった温水洋一は、さすがであった。途中でキャラクターが変化することもなく(普通、温水をキャスティングしたら、「実はキレ者だった」とか「裏ですべてを操っていた」とかの設定をつけたくなるものだが、一切ない)、さらには大方の予想に反して死ぬこともなく、最初から最後まで温水のまま。本作、温水洋一の圧勝である。