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【邦画】『リュウグウノツカイ』レビュー--不具合のある社会システムには狂気をもって制すべし

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アメリカでの実話を基に、小さな港町での女子高生集団妊娠事件を描いた映画。正味60分の短い作品なのだが、最初から最後まで狂気が止まらない。

女子高生たちは毎日のように授業を抜け出して、同じクラスの男子を海に投げ込んだり砂に埋めたりしている。うん、あらすじを書き始めただけなのに、さっそく意味不明だ。舞台となる小さな港町は、なんかの開発のせいで漁業不振となり、住民たちは日夜、抗議運動(開発側の人の家の壁にスプレーで落書きしたり)を行っている。10人の女子高生の中にはその家の娘もいたり、あるいは別の少女の父親がアル中で暴れてるとか、この辺りの描写はテンプレ的。女子高生10人は、浜辺に打ち上げられたリュウグウノツカイを見つけたのをきっかけ(なのかどうかもよくわからないが)に、集団妊娠計画を実行する。なお、うち2人は既に妊娠しており、計画を言い出すのはそのうちの1人である。

10人の女子高生が集団妊娠という形で具現する狂気は、社会を構成するどんな常識とも善悪とも論理とも切り離されている。だから、周囲の大人たちは自らの論理に組み込むことができず、彼女らに振り回されるしかない。ラストの、TV局からのインタビューを受けるシーンは、この事件から「意味」を見出そうと質問を投げかけるインタビュアーが、狂気にまみれた女子校生たちに翻弄し、しまいには自我が崩壊する姿が映される。そう、本作は「意味」を持ち出した時点で勝てっこないのだ。こうして文章で「意味」を解説しようとすること自体が、負け戦なのだ。

「海岸の開発に住民が抗議運動をする」というのは、不具合のある社会システムに対して、何かしらの「意味」をつけようとする行為だ。そういうのが有効だった時代もあろうが、もう今では自己満足というか、「意味」の取り付けさえしていればどうにかなるかもという幻想に寄りかかっているだけであろう。それよりも、狂気を自ら作り出して社会システムの不具合を浮き彫りにするほうが、ずっと有効な手段だ。そういえば中島哲也の映画『渇き。』にも、全く会話の成立しない若者が出てきたが、本作は内包する狂気の質と量においてレベルが違う。特に、白い髪飾りをつけた女の子のウザさは最高だった。

リュウグウノツカイ

リュウグウノツカイ

 

 

 

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